チョコレートの箱に隠された死
1905年5月19日、美しい朝であった。タデウシュ・ジェズビツキ(Tadeusz Dzierzbicki)が自宅アパートを出たとき、彼の腕には一見無害なチョコレートの箱が抱えられていた。しかし中身は致命的だった。数キログラムもの爆弾が詰め込まれており、それはワルシャワ総督コンスタンティン・マクシモヴィッチをあの世へ送るために用意されたものだった。長い時間をかけて準備されたこの暗殺計画は完璧に見えた。だが、すべてが狂い始める。
完璧なはずだった暗殺計画
ポーランド社会党(PPS)戦闘組織のメンバーたちは、数週間にわたり、極めて用心深い将軍の一挙一動を見張り続けた。彼の習慣をできる限り詳細に把握しようとしたのである。そして最終的に、ロシア人総督がベルヴェデーレ宮殿から日曜のミサへ向かう途中こそが攻撃の絶好の機会であるとの結論に達した。目的地はドゥワガ通りとミョドワ通りの角にある教会だった。
タデウシュ・ジェズビツキは自ら進んで実行犯の役を買って出た。パリから帰国したばかりの技師であり、党の爆弾製造工房を率いる人物でもあった。

1905年の革命期、ポーランド社会党(PPS)はツァーリズムと闘う有効な手段としてテロを選択した。
ヴォイチェフ・ラダ著『ポーランドのテロリスト』に引用された党員の一人は、彼についてこう語っている。「並外れた才能を持つ青年。燃えるような頭脳、アイデアに満ち、エネルギーと意志は鋼鉄のように硬かった」。だが不幸なことに、その数ヶ月前、コサック兵によって兄が射殺されていた。彼の胸中にはもはや復讐心しかなかったのだ。
計画では、ジェズビツキはミョドワ通り4番地の菓子店の庭で落ち着いて標的を待つことになっていた。マクシモヴィッチの馬車がこの場所に差し掛かったところで爆弾を投げつけ、爆発後の混乱に紛れて姿を消すという算段だった。万が一に備え、経験豊富な戦闘員からなる護衛部隊がブロニスワフ・ジュコフスキの指揮下で支援することになっていた。
紙の上ではすべてが美しく見えた。しかし現実は、PPSメンバーたちの野心的な構想を痛烈に打ち砕いた。彼らは思いもよらなかった。自分たちの中に、帝政ロシア秘密警察オフラーナのスパイが潜んでいたことを。大規模な行動計画を知るや否や、スパイはすぐさま上層部にすべてを報告したのである。
オフラーナの将校たちは標的が誰かこそ知らなかったものの、それがマクシモヴィッチ総督に違いないと即座に悟った。彼らは大規模な捜査網を直ちに展開することを決めた。

捕らわれるより死を選ぶ
数百人に及ぶ密偵と警察官がワルシャワの街に繰り出された。その任務はただひとつ、爆弾魔を捕らえることだった。幸運にも、治安部隊はジェズビツキの人相を把握していなかったため、何も知らない戦闘員は平然と指定の場所へ向かうことができた。
だが、運命は彼に背を向けた。緊張した様子が、オフラーナに協力する司祭の疑念を招いたのだ。司祭は若き技師を帝政の諜報員たちに告げ口した。
二人の私服警官がすぐさまジェズビツキの座るテーブルに近づき、同行を求めた。そこからは一瞬の出来事だった。事件を目撃した偶然の通行人、ワルシャワのジャーナリスト、カジミェシュ・ポッラクはこう回想している。
「すると、包みがテーブルから叩き落される鈍い音が聞こえ、続いて恐ろしい轟音が大気を揺るがした――煙の雲が菓子店のテラスと通りの一部を飲み込んだ。煙が晴れ始めると、引き裂かれた鉄骨とガラスの破片の中に、腹を裂かれた3つの死体が横たわっているのが見えた」

ミョドワ通りにおけるタデウシュ・ジェズビツキの自爆テロの惨状を写した一枚。
「それは爆弾魔と、彼を追った二人の密偵の身体の残骸だった。ガラス片まみれの路上には4人目の男性の死体が転がり、十数名の重傷者たちが歩道でうめき声を上げていた」
こうしてタデウシュ・ジェズビツキは生きて捕らわれることを拒み、波乱に満ちたポーランド社会党の歴史において唯一の自爆テロリストとなった。二人の密偵の死に対する報復として、オフラーナはジュコフスキを拘束し、凄惨なまでに殴打したという。
一方、攻撃の標的となるはずだったコンスタンティン・マクシモヴィッチは、あまりの恐怖にゼグジェ要塞に閉じこもり、二度と外へ出ようとしなかった。数ヶ月後、臆病な総督はその職を解任された。ある意味において、この攻撃は成功したと言えるのかもしれない。