現在、ジュール・ヴェルヌの作品は完全に無害な冒険小説として読まれている。『八十日間世界一周』などは児童文学の古典となり(当初は大人が読んでいた)、その裏側にあった政治的・思想的な鋭さは忘れ去られつつある。しかし、同時代の読者にとってヴェルヌは決して安全な作家ではなかった。彼の知られざる側面には、強烈な反独感情(『五億フランのベガム』)、反ユダヤ主義的な描写(『エクトール・セルヴァダック』)、そしてロシア帝国への挑発的な眼差しが存在する。
出版社の検閲が変えたネモ船長の正体
『海底二万里』(1869-70年)において、ヴェルヌは当初、ネモ船長をロシアに抵抗するポーランドの反乱戦士として描こうとしていた。しかし、出版社ピエール=ジュール・エッツェルの強い要請により、この設定は「インドの王子」という曖昧な出自へと書き換えられた。エッツェルはロシア市場を恐れ、外交問題を避けたのだ。
『ミシェル・ストロゴフ』が暴いたロシアの脆弱性
数年後、ヴェルヌはより大胆になる。『ミシェル・ストロゴフ』(1876年)では、主人公がツァーリの忠実な腹心として描かれながら、物語全体が「征服された諸民族の大反乱」というシナリオを通じて、ツァーリ体制の脆さを露呈させていた。これにロシア大使館が敏感に反応し、エッツェルはトラブル回避のため大使館へ相談に赴く事態となる。結果、同書のロシア語訳出版は四半世紀遅れることになった。
「ポーランド系ユダヤ人」という謎の噂
この頃、東欧からフランスへ「ヴェルヌは出自を隠したポーランド系ユダヤ人である」という奇妙な噂が流れる。当時としては作家生命を脅かすデマだった。まだ「シオン賢者の議定書」のような偽造文書で知られるツァーリの秘密警察オフラーナが本格化する前夜だが、皇帝直属の第三部局はこうした情報操作を得意としていた。
フリーメイソンの「高位儀式」を小説に描いたのか
一部の伝記作家は、ヴェルヌがフリーメイソンの影響下で「真の貧しさ(真理)」を見出したと主張する。その痕跡は、忘れられた小説『黒いインディア』(1877年)に見られる象徴主義にとどまらない。フランスの研究者ミシェル・ラミーは、『ミシェル・ストロゴフ』において、ヴェルヌがフリーメイソンの高位階位の秘儀を暴露したと指摘する。
見習い・職人・親方の三段階であれば情報入手は容易だが、高位階位の儀式は極秘とされた。同作では、主人公がクマと格闘し、後に捕らえられて拷問を受け、ついに目を焼かれて失明するという描写がある。これはルネ・ル・フォレスティエの著書『18・19世紀におけるテンプル騎士団的・オカルト的フリーメイソンリー』に記される「復讐者(エリュ)」の階位儀式と驚くほど一致する。
「候補者は血染めの手袋をして敬老の前に現れ、その血は悪党たちが巣窟の入り口に配したクマ、虎、ライオンのものだと宣言する。新入会員は、もし誓約を破れば最悪の拷問の下に死ぬこと、赤く焼けた鉄で眼球を焼かれ光を奪われることを承諾する」
これはまさに、母を救うために誓約を破ったミシェル・ストロゴフが辿る運命そのものだ。
謎解きとローゼンクロイツの影
なぜ名声と富を得た作家が、そんな危険な遊びに没頭したのか。ヴェルヌの全作品を貫くのは「謎への愛着」だ。彼は小説の行間に数々の暗号を隠した。そして、薔薇十字団と関連するフリーメイソンリーは、「究極の謎」そのものだった。
『マチアス・サンドルフ』(1885年)の主人公は薔薇十字団員のように振る舞い、翌年刊行の『征服者ロビュール』の主人公ロビュール=ル=コンケランの頭文字「R.C.」は、薔薇十字を意味する「ローズ・クロワ(Rose-Croix)」、そして伝説的創始者クリスチャン・ローゼンクロイツを想起させる。ヴェルヌはフリーメイソンが世界支配を夢見ていると、小説を通じて示唆していたのだろうか。
作家を襲った「黒い連鎖」
ヴェルヌがこうした謎かけを続けた1886年、突如として甥のガストンに銃撃される事件が起きる(3月9日)。動機は永遠に闇の中だ。わずか数日後、3月17日には恩人のエッツェルが急死。翌年、母親が亡くなる。1897年には愛弟ポールが心臓発作で他界。直後に刊行された『クロヴィス・ダルドントル』は、一見凡庸な冒険譚ながら、レーヌ=ル=シャトーの司祭ベレンゲル・ソーニエールが発見したとされる「テンプル騎士団・薔薇十字団・フリーメイソンに繋がる秘宝」伝説と関連づけられる存在でもあった。
フリーメイソンのロッジと教皇、二つの顔
これら一連の悲劇が、ヴェルヌの「饒舌さ」への警告だったと断じるのは不謹慎かもしれない。だが、更なる不可解な事実が残されている。1904年末、『征服者ロビュール』の続編『世界の支配者』を連載開始した数ヶ月後、糖尿病を患うヴェルヌは急病に倒れ、数日で息を引き取る。命日が3月17日——エッツェルが『征服者ロビュール』刊行直後に急死した日と全く同じ日付なのだ。
イタリアのヴェルヌ研究者ピエロ・ゴンドロ・デッラ・リーヴァによれば、1887年夏、ヴェルヌはローマのイタリア大東方(グランド・オリエント・ディ・イタリア)の反教権的ロッジを訪問していた。彼はフリーメイソンだった可能性が高い。しかし、その前日、彼は教皇レオ13世の謁見を受けていた。同教皇は1884年、フリーメイソンリーを痛烈に非難する回勅『ヒューマヌム・ゲヌス』を発表した人物だ。単なる偶然だろうか?
ヴェルヌは秘密結社の一員だったのか。二重スパイのような振る舞いをしていたのか。それとも、謎を愛した作家が最後に仕掛けた、最大の謎なのか——。真相は今も、深海のネモ船長のように、歴史の海底に沈んでいる。