彼の「ポートフォリオ」には、若く魅力的な女性たち――ミスコンテストの出場者やモデル――の写真がびっしりと並んでいた。彼は彼女たちに華やかなキャリアを約束し、その後、残酷にも命を奪っていった。
クリストファー・ワイルダーは1945年3月13日、オーストラリア人女性とアメリカ海軍士官の息子としてシドニーに生まれた。彼は手の焼ける子供だった。攻撃性と虚言癖を併せ持ち、「幼い頃から死と接してきた男」という神話を自らの周囲に築き上げていった。お気に入りの逸話のひとつが、2歳の時にプールでおぼれ死にかけたという話である。
初めての重大な犯罪は17歳で犯している。友人たちと共謀し、13歳の少女への暴行と強姦を実行したのだ。ところが、下された刑罰は犯行にまったく見合うものではなかった。クリストファーは執行猶予付き判決と1年間の警察監視を受け、心理学者の観察対象となっただけだった。彼は後に電気けいれん療法による治療も受けていたが、それは殺人衝動や性的欲求を弱めるどころか、かえって増幅させたと主張するようになる。しかし、この逸話も、ワイルダーが語ったその他の話(幼少期のおぼれ騒ぎを含む)も、伝記作家ダンカン・マクナブによれば、すべて単なる作り話にすぎないという。
23歳になったワイルダーは結婚する。親族の目には、それが男としての生まれ変わり、より良い人生への第一歩となるはずに映った。だが悲劇的なことに、その結婚生活は新婚旅行すら持ちこたえられなかった。わずか7日後、妻はクリストファーの元を去った。彼女は後に、夫から暴行を受け、性的虐待を受けていたと証言している。
「コレクター」への傾倒
その後、ワイルダーはフロリダ州へ移住し、不動産業で成功を収めた。あっという間に富を築き上げ、流行りの地区に別荘を購入し、長年魅了されてきた趣味のためにプロ仕様の撮影機材に投資した。その趣味とは、美しい女性を撮影すること、そして……彼女たちを虐げることであった。
ワイルダーはジョン・ファウルズの小説『コレクター』を読みふけっていた。これは、想いを寄せる女性に振り向いてもらえない青年が、抑えきれない感情に突き動かされて彼女を誘拐し、地下室に監禁して性的虐待を加え、ついに肺炎で死なせてしまうという物語だ。異常なほど貪欲に読み込まれたこの小説は、彼の不健全な妄想にさらに油を注いだ。そしてついに、彼は妄想を現実のものとすることを決意する。
ワイルダーは魅力的な若い女性ばかりを狙っていたため、「ミスクイーンの殺人者」と呼ばれることになった(イメージ写真)。
プロのカメラマンになりすました彼は、若く美しい女性たちを性的搾取の罠へと誘い込み始めた。1971年から1975年にかけて、彼はこれらの罪で幾度も裁判にかけられた。起訴事項には、モデル事務所の撮影を口実にトラックへ招き入れて強姦した少女に対する罪も含まれていた。ところが、これらの犯罪のどれひとつとして、彼は刑務所送りにはならなかったのである。この無処罰状態は、彼の凶悪な欲望をますます掻き立てた。
1982年、ワイルダーはオーストラリアを訪れる。この短い滞在中、彼は15歳の少女2人への強姦未遂を起こしたとされる。幸い少女たちは逃げ延び、両親に訴え、警察へ通報された。ワイルダーは逮捕されたが、拘留期間は短かった。両親がすぐに保釈金を払い、クリストファーは再び自由の身となった。それどころか、フロリダへ戻るための出国許可まで取得してしまう。条件は、1984年4月に予定された公判に出頭するという約束だけだった。もちろん、彼は約束を守らなかった。裁判が開かれる頃には、ワイルダーはすでにこの世の人ではなかった。
殺戮の横断旅行
1984年初頭、アメリカに戻ったクリストファーは全米縦断の旅に出ることを決める。しかしこの旅は観光旅行ではなく、少なくとも8人の女性の命を奪った殺戮の旅だった。最初の犠牲者は、モデルのロザリオ・ゴンサレスと、ミス・フロリダのエリザベス・ケニョンだったと考えられている。2人は2月末から3月初めにかけて消息を絶ち、遺体は発見されていないが、クリストファーと面識があったことが分かっている。彼女たちの失踪直後の3月18日、ワイルダーは21歳のテレサ・ウェイト・ファーガソンを誘拐・殺害し、遺体は5日後に発見された。
次の犠牲者は19歳の学生リンダ・グローヴァーだった。彼女はジョージア州のグレンオークス・モーテルに監禁された。そこで彼は少女に暴行を加え、レイプし、拷問した(電気ショックを流し、目を接着剤で塞ぐなど)。少女はなんとかトイレへ逃げ込み、内側から扉を封鎖して助けを求めて叫び続けた。幸い救援は間に合ったが、加害者は逃走を遂げてしまった。
ワイルダーは旅を続けた。テキサスとカンザスでは20代の女性2人を、ユタとカリフォルニアでは18歳と17歳の少女を、それぞれ誘拐・殺害した。犠牲者たちは皆、失踪直前に彼と一緒のところを目撃されていた。それでもクリストファーは警察の手の届かない場所にいた。FBIの最重要指名手配リスト「テン・モスト・ウォンテッド」に掲載されてさえいるのに、である。彼は「カメラマン」の手口で獲物を誘い出していた。「モデル事務所の新しい顔を探している」と女性たちに告げていたのだ。
追跡と死
4月4日、カリフォルニアでワイルダーは16歳のティナ・マリー・リシコを誘拐した。性的暴行を加えた後、男はこの少女が意外にも冷静に状況を受け止めていると判断し――生かしておくことにした。彼女はカナダへ向かう道中で、新しい犠牲者をおびき寄せる囮役となるはずだった。さらに16歳のダウネット・ウィルトも被害に遭った。彼女は車の後部座席で繰り返しレイプされた末、刺されて路傍に遺棄された。だが少女は奇跡的に一命を取り留め、警察にワイルダーのカナダ逃亡計画を語った。こうして時間との闘いが始まった。
ミスクイーン殺人者の最後の犠牲者となったのは、33歳のベス・ドッジだった。ニューヨーク州で彼女を殺害した後、クリストファーはボストンへ向かい、そこでリシコをロサンゼルス行きの飛行機に乗せた。そして彼はひとり旅を続けた。道中でさらにもう一度誘拐を試みたが、幸い失敗に終わっている。
クリストファー・ワイルダー射殺の可能性について協議する会見で発言するFBIのフロイド・クラーク〔1984年4月13日、ワシントン〕 Ron Edmonds / ASSOCIATED PRESS / East News
4月13日、ワイルダーはニューハンプシャー州の「ヴィックス・ゲッティ」ガソリンスタンドに立ち寄ったところを、2人の警官に発見された。銃撃戦が勃発し、追われる身となった男は、生きてこの結末を迎えることはなかった。彼は自らの罪について裁かれることは一度もなかった。死後に約700万ドルと見積もられたクリストファーの財産は、判明している被害者たちの家族に分配された。今日に至るまで、彼がアメリカとオーストラリアで殺害した女性の真の数は、ついに確定していない。
参考文献
- McNab, The Snapshot Killer, Hachette Australia, 2019.
- Christopher Wilder, Murderer of the beauty queens – never stood trial | CATCH THE BEAST, youtube.com(参照日:2021年11月26日)。
- Rosewood, Christopher Wilder: The True Story of The Beauty Queen Killer, Createspace Independent Publishing Platform, 2016.
- Bovsun, 'Beauty Queen Killer' and race car driver Christopher Bernard Wilder takes a bloody ride through the states, kidnapping, raping and murdering 8 women in short 1984 span, web.archive.org(参照日:2021年11月26日)。