パント遠征を描く浮き彫り
「パント」という国の名前は、どこか空想上の土地のように響きます。しかしそれはまったくの誤解です。エジプトのハトシェプスト葬祭殿(デイル・エル・バハリ)では、考古学者たちがこの「パントの地」への遠征を描いた一連の浮き彫りを発見しました。まるで漫画のコマのように場面が時系列で連なり、遠征の物語を壁一面に語りかけてくるのです。
発見の経緯
1858年、フランスのエジプト学者フランソワ・オーギュスト・マリエットが、ハトシェプスト葬祭殿の発掘・整備作業の最中に、いわゆる「パントの浮き彫り」を発見しました。マリエットと調査チームは瓦礫の山からこれらの彫刻を取り除き、一部を修復しながら、壁面に残る図像を丹念に記録していきました。
このパント浮き彫りは、ハトシェプスト女王が実施した重要な遠征を描いたものです。女王はアメン神の神託を受けて遠征を決行し、連続する場面とそれに添えられた銘文が、その顛末を順を追って物語っています。
第1場面 船隊の出航
遠征の描写は、西壁の下段から始まります。5隻の船が描かれ、うち2隻はまだ係留されている一方で、残りの船はすでに帆を揚げて進んでいます。
第2場面 パントでの歓待
場面は南壁へと続きます。エジプト人はついにパントへ到着しました。ハトシェプストの使者(おそらくネフシー)が岸に上陸し、士官1人と兵士8人が後に続いています。小さなテーブルの上には、ビーズの首飾り、斧、短剣、腕輪などの身飾りといった、女王からの贈り物が並べられています。
その左側にはパントの王パラホが立ち、後ろにはロバに乗った王妃イティの姿が描かれています。背景にはパントの風景が広がり、住民の家屋は杭の上に建てられた高床式です。そのそばには黒檀の木々が立ち、枝は大量に伐り取られ、家畜はその木陰で休んでいます。動物相は明確にアフリカ的で、長い角やねじれた角を持つ牛、キリン、垂れ耳の白い犬、ヒヒ、サイなどが登場します。巣を作る鳥の姿から、遠征が春に行われたこともうかがえます。場面の下方には水際線が引かれ、魚、エビ、亀が泳いでいます。
第3場面 交易品
右側にはテントがあり、ネフシーは自らその前に立って、パントの王族や支配者たちを迎え、パン、ビール、肉、果物などエジプトの産物をもてなしています。場面の手前には、金の輪、投げ棒(ブーメラン状の武器)、そして「アンチュ」と呼ばれる乳香の大きな山など、パントの民の交易品が並んでいます。パントの王妃はグロテスクな姿に描かれていますが、これはおそらく当時の美の理想を表現したものなのでしょう。
第4場面 船への積み込み
運搬のため、乳香の樹は根球ごと大きな籠に入れられ、運搬人たちによって船へ運び込まれます(IVa・IVb)。この「アンチュ(乳香)の木」は、アメン神の庭園に植えられる予定のものでした。乳香を生産するボスウェリア・スリフェラ(Boswellia thurifera)あるいはB.カルテリー(Boswellia carterii)だった可能性があります。
その後、物語は西壁へと移ります(IVc)。2隻の船には、没薬の木、没薬や乳香を詰めた袋、象牙、黒檀、貴金属、宝石、獣皮、生きた野生動物(ヒョウやサル)、投げ棒などが満載され、渡し板の上では運搬人たちが袋や木々を担いで往復しています。
第5場面 帰還の旅
3隻の船が満帆を掲げ、積み荷とともにエジプトへ向けて航海していきます。
第6場面 女王への献上
左側から、贈り物を運ぶ2人の男性が近づいてきます。彼らに先立って、パント、イレム(未知の国)、ネミウ(未知の国)の指導者たちが跪いています。後ろには、没薬の木やその他のパントの産物を携えたエジプト人とパントの住民たちが続きます。
第7場面 アメン神への捧げもの
女王とその「カー」――女王の分身となる霊的な像(VIIa)。パントとイレムの産物(VIIb)、そしてヌビアの産物(VIIc)が描かれています。
第8場面 貢ぎ物の計量と測定
大きな天秤の一側には金の大輪が、もう一側には雌牛の形をした分銅が載せられています(VIIIa)。この場面は、エジプトの神ホルスとヌビアの神デドゥンによって主宰されています。天秤の周りには、丸型と牛型の分銅、棒状や輪状の金塊が山積みになっています。さらに、4人の男が巨大な没薬の山を枡で掬い取っていく様子が描かれ(VIIIb)、最も右端には書記の神トートが配されています(VIIIc)。計量と測定についての銘文も添えられています。
第9場面 アメン神への公式報告
女王は杖を手にして(IXb)、玉座に着くアメン神(IXd)の前に立ちます。女王の後ろには、神官たちに担がれたアメン神の聖舟が描かれています。その手前ではトトメス3世が新鮮な乳香を捧げています(IXa)。女王とアメン神の間には縦書きの銘文(IXc)があり、女王の讃辞に続いてアメン神の神託が記されています。
第10場面 宮廷への正式報告
美しい東屋の中に玉座に着く女王(Xa)。3人の宮廷人が彼女の前に立っています。人物像はすべて削り取られてしまいましたが、先頭の人物にはネフシーの名が、中央の人物にはハトシェプスト最大の腹心セネムトの名が今も残っています。
(Xb)には22行からなる銘文があります。これはパント浮き彫りの中でおそらく最も興味深い碑文で、遠征隊が無事帰還した日付として「在位9年」が記されています。女王は玉座から宮廷人たちに向けて演説を行い、遠征の大成功を宣言したのです。
パントの地はどこにあったのか
マリエットは当初、パントをアラビアにあると考えていましたが、1875年にはソマリランド説へと考えを改めました。これは明確なエジプト学的証拠に基づくものではなく、歴史地理学、人類学、動物学、民族誌学といった他分野の知見から導かれた結論でした。また、ロルフ・ヘルツォークによれば、パントは現在のスーダンを流れる白ナイル川あるいは青ナイル川、アトバラ川の流域と、その隣接するエチオピア方面の地域に位置していたとされます。
正確な位置は今なお謎に包まれていますが、こうした議論こそが、パントが古代エジプトにとって特別な「神々の国」であり、乳香や没薬といった貴重な香料の供給地だったことを物語っています。