「自由、平等、正義のために闘った人間として知られたい」
これは、たった一度の「拒否」によって、一大反差別運動の誕生のきっかけを作った女性の言葉です。その名はローザ・パークス。2005年の今日、この世を去りました。
時は1955年12月、アメリカ南部アラバマ州のモンゴメリー。仕立て職人として働いていたパークスは、一日の労働で疲れた体を引きずりながら、帰宅のためのバスに乗り込みました。
乗車すると、彼女は黒人乗客用として指定された後部座席へ向かい、最初の空席に腰を下ろしました。
しかし数駅後、数人の白人男性が乗車してきます。運転手は、一人の白人が立ったまま席を見つけられないことに気づくと、「有色人種は立ち上がって席を譲れ」と命令しました。周囲の黒人乗客は皆それに従いましたが、パークスだけは運転手を真っ直ぐに見据え、これを拒否したのです。

ジム・クロウ法の時代
当時のアメリカ南部では、ジム・クロウ法と呼ばれる法律が施行されており、公共の場において有色人種と白人は厳しく分離されていました。その結果、パークスは逮捕されます。しかし、この出来事は歴史に刻まれ、アメリカにおける人種隔離政策への抵抗運動、すなわち公民権運動誕生の転換点となったのです。

地元警察による逮捕を受け、黒人市民たちは381日間にわたってバスのボイコットを実施し、この問題は法廷へと持ち込まれました。最終的な裁判所の判決により、モンゴメリーの公共交通機関における人種隔離は終焉を迎えることになります。
一方、パークス自身は事件後も絶えず人種差別や暴力にさらされ、職を失ったことから、1957年にアラバマ州からミシガン州へ移住せざるを得ませんでした。

世界が認めた功績
ローザ・パークスはやがて世界的な評価を獲得します。1996年には大統領自由勲章を、1999年には議会名誉黄金勲章をそれぞれ受章し、その人種差別との闘いは「モンゴメリー・バス・ボイコット」として歴史に永遠に刻まれました。
2005年、彼女は92歳でこの世を去りました。
ローザ・パークスの名言
- 「自分が歴史を作ることになるなんて、想像もしていなかった。ただ、逃げ続けることにはもう疲れていたのだ」
- 「変化をもたらしたいなら、最初の一歩を踏み出すことを恐れてはならない。挑戦しなければ、そこで私たちは敗北する」
- 「教育のないところに未来はない」
- 「ビジョンのない人類は滅びる。だが、勇気のないところで夢は死ぬ」
- 「何かを信じて立ち上がらなければ、あらゆるものに屈することになる。今日の力強い樫の木は、自らの場所を守り抜いた昨日の果実である」