1969年の春、伝説的ロックバンド「ビートルズ」のジョン・レノンは、妻オノ・ヨーコとともに、ベトナム戦争への反対と平和主義のメッセージを世界に発信するため、2回にわたる平和的な抗議活動を実施しました。
この抗議活動は、文字通り「ベッドの中」で行われました。夫婦がベッドに横たわり、部屋の壁には平和を訴えるポスターが掲げられました。このユニークなデモは、後に「ベッド・イン(Bed-In)」という名称で歴史に刻まれることになります。
そして51年前の今日、1969年5月26日、レノン夫妻はモントリオールのホテルのベッドで2度目となる抗議活動を開始しました。あの日に生まれた一言が、後の名曲「ギヴ・ピース・ア・チャンス(Give Peace A Chance)」へと結実することになるのです。
第1回目のベッド・イン
第1回目のベッド・インは、1969年3月25日から31日にかけて、アムステルダムのヒルトンホテルで行われました。902号室に滞在したジョンとヨーコは新婚旅行中であり、同年3月20日の結婚式によって集まった世間の注目を活かせば、平和への訴えを広める絶好の機会になると考えたのです。

そこで二人は、毎日午前9時から午後9時まで客室のドアを報道陣に開放することを決めました。大勢のジャーナリストが詰めかけました。彼らは、夫婦がアルバム『トゥー・ヴァージンズ』のジャケットでヌードを披露していたことから、甘いひとときを捉えられることを期待していました。しかし、期待を裏切られた記者たちの前で、ジョンとヨーコはベッドに座り、ひたすら世界の平和と正義について語り続けました。この最初のベッド・インでの経験は、楽曲「ジョンとヨーコのバラッド(The Ballad of John and Yoko)」に歌われています。
第2回目のベッド・イン
このアイデアが大きな話題を呼んだことから、二人は5月にニューヨークで再び実施することを計画しました。ところが、レノンが1968年に大麻所持で有罪判決を受けていたため、米国当局は入国を拒否します。そこで二人が選んだのは、隣国カナダでした。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる2度目のベッド・インは、1969年5月26日、モントリオールのクイーン・エリザベスホテル(1472号室)で始まりました。そして1週間後、このホテルの一室で歴史に残る音楽イベントが開催されることになります。

「ギヴ・ピース・ア・チャンス」誕生秘話
モントリオールでの「ベッドサイド」抗議活動の初日、あるジャーナリストがジョンに「なぜこんなことをするのか」と尋ねました。それに対してジョンはこう答えました。「俺たちが言いたいのはただ一つ、平和にチャンスを与えてくれってことさ(All we are saying is give peace a chance)」。ほぼ瞬時に、レノンはこの言葉がそのまま曲になると直感しました。こうして生まれたのが、時代を超えて歌い継がれる平和の賛歌「ギヴ・ピース・ア・チャンス」です。
この曲は6月1日、近くの店で購入した8トラックの録音機材を使い、ホテルの一室でレコーディングされました。コーラスには、夫妻の友人である詩人アレン・ギンズバーグや、ティモシー・リアリーといった著名人たちも参加し、賑やかなセッションとなりました。
2つのベッド・インは大きな注目を集めましたが、その一方で、一部の報道機関の間では「宣伝や収益が目的ではないのか」という疑念が広がっていました。忘れてはならないのは、1969年当時、「ビートルズ」は事実上活動を停止しており、各メンバーがそれぞれソロキャリアに関心を向けていたという事情です。こうした批判に対し、ジョン・レノンは「自分なら1時間でヒット曲を書けるし、ホテルの部屋で平和について語りながらでも稼ぐことはできる」と切り返しました。
