歴史物語

「角を立てる」の起源は中世ビザンツ帝国にあり――皇帝アンドロニコス1世と鹿の頭の習慣

「角を立てる」の起源は中世ビザンツ帝国にあり――皇帝アンドロニコス1世と鹿の頭の習慣

中世の奔放な風俗を描いた絵画。「角」の象徴はすでに当時から広く浸透しており、「角を立てる」という表現そのものも中世に誕生しました。

不貞の象徴「角」はどこから来たのか

配偶者に裏切られた相手に「角を立てる」という表現。その起源は、私たちの大好きな中世、それもビザンツ(東ローマ)帝国に遡ります。

舞台は12世紀のコンスタンティノープル。皇帝アンドロニコス1世コムネノスは、類まれな好色家であり、抜群の誘惑の名人として知られる人物でした。彼は従兄にあたる皇帝マヌエル1世に対して陰謀を企て、ついには投獄される身となります。

野心のために何でもした男

帝位への階段を上るためなら手段を選ばないアンドロニコスは、従兄の未亡人や皇位継承者のアレクシオス2世を殺害するに至ります。その一方で、罪深く、ときには近親相姦すら疑われるような関係を次々と重ねていきました。

さらに彼は貴族層に対して徹底的な弾圧を加えます。貴族たちを次々と投獄し、その妻たちを誘拐しては長い間、自分の快楽のために弄んだのです。

鹿の頭を掲げるという「屈辱の儀式」

そしてここに、あの表現の直接の起源となる習慣があります。アンドロニコスは、標的とした貴族の屋敷に、数え切れないほどの狩猟で仕留めた鹿の頭を吊るしたのです。これは相手への侮辱、つまり「お前の妻は俺のものだ」という屈辱的な烙印でした。

1185年、テッサロニキで言葉が生まれた

1185年、シチリア王グリエルモ2世(ウィリアム2世)の軍勢がテッサロニキを征服した際、兵士たちはこの奇妙な慣習を目にします。当初は意味が分かりませんでしたが、その由来を説明されて初めて理解したのです。こうして「角を立てる」という表現が誕生しました。

以後、「角を立てられた男」を意味する言葉は広く普及し、とりわけシチリアにおいて強く根付いたといわれています。

アンドロニコスの最期

では、張本人であるアンドロニコス・コムネノスはどうなったのでしょうか。彼はついに群衆によるリンチの末に惨死します。この顛末は、ボッカッチョが『有名な人々の没落について(De casibus virorum illustrium)』の中で語っています。同書は、幸運が突如として悲惨な形で背を向けた58人の著名人の物語を綴った作品です。

権力と情欲の頂点に立った男の転落――「角を立てる」という言葉の裏には、こんなドラマチックな歴史が隠されていたのです。