
ミラノ公ルドヴィコ・イル・モーロの肖像
フランスの教会で発見された謎の遺骨
フランス中部の町ロシュ(Loches)にあるサンタンソー参事会教会で実施されていた修復工事の際、4基の古い墓が偶然見つかりました。そのうちの1基は、「ミラノ公がまさにこの地に葬られた」と伝える同時代の資料の記述と一致する可能性があるといいます。
この遺骨の持ち主こそ、ルネサンス期ミラノを支配した君主であり、レオナルド・ダ・ヴィンチを後援したことでも知られるルドヴィコ・イル・モーロ(Ludovico il Moro)かもしれません。彼は1508年5月27日、フランス王ルイ12世の捕虜として、この町でその生涯を閉じたのです。
DNA鑑定のみが真実を語る
遺骨の身元を最終的に確定できるのは、DNA鑑定の結果だけです。もし陽性の結果が出れば、遺骨は故国イタリアへ返還されることになるでしょう。それは、モーロ自身が生前に遺した願いを、死後500年を経てようやく叶えることを意味します。
最愛の妻との約束——パヴィアに築かれた一族の霊廟
ルドヴィコは、21歳という若さでこの世を去った最愛の妻ベアトリーチェ・デステの死後、自らの生誕地でもあるパヴィアのカルトゥジオ会修道院(チェルトーザ・ディ・パヴィア)に、壮麗な一族の霊廟を造営させました。
現在ベアトリーチェはミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に眠っていますが、ルドヴィコの望みは、彼女を霊廟へ移葬し、いつの日か自分もその傍らで永眠することでした。しかし、運命はその願いを許しませんでした。
なぜルドヴィコはフランスで死んだのか?
その原因は、他ならぬ彼自身の外交判断の誤りにありました。
1499年、野心に燃える政治家ルドヴィコは、フランス軍の侵攻によってミラノ公国を奪われます。彼はスイス傭兵の支援を得て失地回復を試みましたが、決戦の直前にスイス人は彼を見捨てて撤退。ルドヴィコはルイ12世の捕虜となり、以降8年以上にわたりロシュの城に幽閉されることになったのです。
そして1508年5月27日、かつてイタリア随一の栄華を誇った君主は、異郷の地で静かに息を引き取りました。
DNA鑑定の結果が判明する日まで、もう少し。5世紀の時を超えた「祖国への帰還」が実現するのか、今後の展開に注目が集まっています。