アメリカ独立前の13植民地時代において、法律違反者への処罰は、罪の重大性や犯罪が行われた植民地ごとの法制度によって大きく異なっていました。現代とはまったく異なる価値観のもと、身体への直接的な苦痛を伴う刑罰や、公衆の面前での恥辱を与える刑罰が広く採用されていました。
13植民地で行われていた主な刑罰
罰金
軽微な違反に対しては金銭による制裁が科されました。罰金は犯罪の被害者に支払われる場合もあれば、植民地政府の収入として納められる場合もありました。現代の行政罰と似ていますが、支払い能力がない者には別の体刑が課されることも少なくありませんでした。
鞭打ち
窃盗や乱暴な振る舞いといった軽犯罪に対しては、鞭打ちが一般的な体刑として用いられました。公開の場で執行されることが多く、見せしめとしての効果も狙われていました。
烙印(らくいん)
殺人や強盗などの重罪を犯した者には、熱い鉄で肌に焼き印を押す「烙印」が科されました。これは生涯消えることのない永久の証となり、その人物が前科者であることを社会全体に知らしめる役割を果たしました。
枷(かせ)
枷は手足を木製の装置で固定して動けなくする刑具です。街中の目立つ場所に置かれ、通行人から嘲笑や非難を浴びせるという公開の恥辱刑として機能しました。犯罪抑止のための見せしめ効果も重視されていました。
晒し台
晒し台は頭と両手を差し込む穴のある木枠で、罪人が通行人の前に長時間さらされる刑罰でした。枷と同様に恥辱を与えることで再犯を防ぐ目的があり、名誉を重んじる当時の社会においては非常に重い精神的苦痛を伴うものでした。
投獄
暴行や住居侵入などのより深刻な犯罪には投獄が用いられました。ただし、現代のような本格的な監獄はまだ普及しておらず、代わりに重労働や追放(国外追放・入植地からの排除)が刑罰として科されることも多くありました。
死刑
反逆罪や殺人などの最も重い罪に対しては死刑が科されました。執行方法としては絞首刑が中心でしたが、火あぶりや斬首が行われるケースもありました。
現代から見た13植民地の刑罰
当時の刑罰は、今日の人権意識から見ると非常に過酷で残酷なものでした。また、身分や財産によって扱いが異なるなど、刑事司法制度が必ずしも公正で公平だったとは言えない点にも留意が必要です。それでも、これらの制度は後のアメリカ合衆国の法体系や憲法修正条項の形成に影響を与えた歴史的背景を持っています。