ロアノーク植民地はなぜ建設されたのか
ロアノーク植民地は、16世紀後半、イングランドが北アメリカ大陸に恒久的な入植地を確立することを目的として設立されました。当時のヨーロッパでは、スペインが中南米で莫大な富を獲得しており、これに対抗したいエリザベス1世時代のイングランドにとって、新大陸への進出は国家的な悲願でした。
この事業を主導したのは、宮廷人であり探検家でもあったウォルター・ローリー卿(サー・ウォルター・ラレー)です。彼は女王から北米探検の勅許を受け、現在のアメリカ合衆国ノースカロライナ州沖に位置するロアノーク島を入植の拠点として選びました。
最初の植民地(1585年):苦難の連続
最初の植民団は1585年にロアノーク島へ上陸しました。しかし、この試みは当初から困難に満ちていました。
- 現地の先住民との関係が悪化し、対立や衝突が頻発した
- 食料事情が悪く、入植者たちは飢えに苦しんだ
- 母国からの補給が滞り、植民地は孤立状態に陥った
こうした問題を抱えたまま、最初の入植者たちの多くは1586年に帰国の途につき、実質的に植民地は放棄されました。完全な撤退は1590年頃までに完了したとされています。
2度目の挑戦(1587年)と「消えた植民地」の謎
それでも諦めなかったローリー卿は、1587年に再び約100名余りの入植者をロアノークへ送り込みました。この第2次植民団には女性や子どもも含まれており、本格的な定住を目指すものでした。実際、この地で生まれたヴァージニア・デアは、北米で生まれた最初のイングランド人の子どもとして知られています。
しかし、母国との連絡役だった指導者が補給物資の調達のため一時帰国した際、イングランドではスペイン無敵艦隊との戦争が勃発し、再渡航が大きく遅れてしまいます。
ようやく1590年に救援船がロアノーク島に到着したとき、そこには植民者の姿は一切ありませんでした。家屋は解体された形跡があり、柱には「クロアトアン(CROATOAN)」という文字だけが刻まれていたといわれています。彼らがどこへ向かったのか、何が起きたのかは今も確かめられておらず、「失われた植民地」として歴史に残る最大級の謎となっています。
まとめ:ロアノークの歴史的意義
ロアノーク植民地の目的は、イングランドによる北米初の恒久入植地の建設にありました。結果的には両方の試みが失敗に終わりましたが、この経験は後のジェームズタウン植民地(1607年)の成功につながる貴重な教訓となり、イギリスによる北米植民地化の出発点として重要な意味を持っています。