歴史物語

ウィリアム・テカムセ・シャーマンとは誰?南北戦争を終結へ導いた北軍の名将

ウィリアム・テカムセ・シャーマンとは

ウィリアム・テカムセ・シャーマン(William Tecumseh Sherman、1820年2月8日 – 1891年2月14日)は、アメリカ合衆国の軍人、実業家、教育者です。南北戦争では北軍(ユニオン軍)の高級指揮官として、ミシシッピ川流域から南部深部に至る広大な地域の制圧に貢献しました。とりわけ1864年から65年にかけて行ったジョージア州および両カロライナ州を縦断する進軍は、南部の戦争遂行能力を打ち砕き、戦争の早期終結を促したことで広く知られています。

生い立ちと初期の軍歴

シャーマンはオハイオ州ランカスターに生まれました。1840年にウェストポイントのアメリカ陸軍士官学校を卒業し、以後38年間にわたり軍務に携わりました。若手時代には米墨戦争やセミノール戦争に従軍し、各地の駐屯任務を経験しています。1850年代には一時軍を離れて銀行業務に従事したほか、1859年にはルイジアナ州立士官学校(後のルイジアナ州立大学の前身)の学長に就任するなど、多才なキャリアを積みました。

南北戦争での活躍

開戦当初、シャーマンはケンタッキー州とテネシー州の防衛にあたりましたが、その激しい気性と積極的な用兵ぶりで注目を集めました。1862年4月には、南北戦争屈指の激戦となったシャイローの戦いで北軍の将軍の一人として戦い、部下の兵士たちからは「アンクル・ビリー(Billyおじさん)」と親しまれました。

1863年に入るとテネシー方面軍第15軍団の指揮を任され、ヴィックスバーグ攻略戦に参加。その後はテネシー方面軍全体を指揮し、チャタヌーガの戦いなど西部戦線の重要な戦闘で活躍しました。

「海への進軍」と戦争の終結

1864年、シャーマンはアトランタ方面作戦を指揮し、同年9月に南部鉄道網の要衝アトランタを占領しました。続く11月からは「海への進軍」と呼ばれるサバンナへの行軍を実施し、鉄道や物資、インフラを破壊する焦土戦術によって南部経済の中枢を揺るがしました。1865年初めには北上して両カロライナ州を通過し、サウスカロライナ州コロンビアを陥落させます。この進軍は戦争の帰趨を決定づけたとしばしば評価されており、同年4月、シャーマンはノースカロライナ州ベネット・プレイスで南軍のジョセフ・E・ジョンストン将軍から大規模な降伏を受け入れました。

戦後の人生

南北戦争後、シャーマンはユリシーズ・S・グラント将軍の後任として、1869年から1883年までアメリカ陸軍総司令官を務めました。政界への出馬は固辞し、1884年には共和党からの擁立要請に対し「指名されれば辞退し、当選しても就任しない」と述べたことは有名です。退役後も全国各地で講演や執筆活動を行い、1891年2月14日にニューヨーク市でこの世を去りました。葬儀にはかつての敵将ジョンストンも弔問に訪れたと伝えられています。

評価と遺産

シャーマンは存命中から議論の的となる人物であり、現在でもその評価は分かれています。特にジョージアと両カロライナでの焦土戦術は、当時から批判を受け、今日の歴史家たちによっても賛否が論じられています。一方で、民間人の生命を直接標的にすることなく敵の戦争能力を破壊するという彼の手法は、近代的な「全面戦争」の先駆けとして戦史における転換点と見なされています。議論の有無にかかわらず、シャーマンが南北戦争において最も成功し、最も影響力を持った将軍の一人であることに疑いの余地はありません。