1919年から1920年頃にかけてアメリカ合衆国で起こった「第一次赤狩り(ファースト・レッドスケア)」は、共産主義や急進的思想への恐怖が社会全体に広がった時期でした。この現象の背景には、いくつかの重要な要因が複雑に絡み合っていました。
1. 共産主義への恐怖
1917年のロシア革命(ボリシェヴィキ革命)によってロシアに共産主義政権が誕生したことは、アメリカ社会に大きな衝撃を与えました。多くのアメリカ人は、共産主義思想が自国へ広がり、世界的な革命につながることを強く恐れていました。
2. 労働争議の激化
20世紀初頭のアメリカでは、ストライキ、デモ、さらには暴力的な衝突を含む大規模な労働争議が頻発していました。これらの労働運動の一部に共産主義者が関与し、組織していると考えた人々は、労働問題と「赤い脅威」を結びつけて捉えるようになりました。
3. パーマー襲撃(パーマー・レイド)
1919年から1920年にかけて、司法長官A・ミッチェル・パーマーの指揮のもと、米国司法省は共産主義者、無政府主義者(アナキスト)、その他の急進派とみられる人々に対する一連の襲撃を実施しました。これらの捜査は適切な令状なしに行われることも多く、数千人が逮捕・国外追放され、社会全体に恐怖と疑心暗鬼の空気が広がりました。
4. 移民排斥感情
当時のアメリカでは、東欧・南欧出身の移民を中心とした強い排外主義的な感情が存在していました。こうした移民の中には社会主義や無政府主義の運動に関わる人々もおり、「急進的思想の流入」という懸念を一層強める結果となりました。
5. 政治的な日和見主義
一部の政治家や著名人は、共産主義への恐怖を自らの政治的目的のために利用しました。対立候補や批判者を「共産主義者」「急進派」と結びつけて印象づけることで、相手の信頼性を損ない、政治的な優位に立とうとしたのです。
まとめ:恐怖と誇張、そして政治利用の時代
第一次赤狩りは、共産主義への本物の懸念、誇張された恐怖、そして政治的な打算が混ざり合った現象でした。その影響は甚大で、市民的自由の制限、急進派とみられた人々の大量追放、そして社会全体に漂う疑心暗鬼と不寛容の雰囲気をもたらしました。この経験は、後の第二次赤狩り(マッカーシズム)にもつながる、アメリカ史における重要な教訓となっています。