ポール・リビアの「真夜中の騎行」は誰が計画したのか?
1775年4月18日の夜、ポール・リビアはボストンからマサチューセッツへ向けて馬を飛ばし、「イギリス軍が来る!」と民兵たちに警告を広めたことで有名です。しかし、この歴史に残る騎行は、リビア個人のひらめきで突然始まったものではありませんでした。
騎行を実現させたのはジョセフ・ウォーレン
当時のボストン周辺の愛国者たちは、イギリス軍の動きに備えて警報伝達の仕組みをあらかじめ整備していました。リビアの騎行は、医師であり革命派の指導者だったジョセフ・ウォーレンの依頼によって実現したものです。ウォーレンはイギリス軍が出撃する情報をつかむと、リビアにサミュエル・アダムズやジョン・ハンコックへの警告を託しました。
リビアだけが走ったわけではない
もう一つ見落とされがちなのが、リビアが単独で駆け抜けたわけではないという点です。同じ夜、ウィリアム・ドーズが別ルートからレキシントンへ向かい、途中からはサミュエル・プレスコットらも加わって、周辺の民兵へ次々と警報が伝えられました。旧北教会に掲げられた提灯(「陸からなら1つ、海からなら2つ」)も、この綿密な連絡網の一部でした。
つまり「真夜中の騎行」は、一人の英雄的偉業というより、組織的に準備された集団による警報作戦だったのです。後世に広まった「孤独な騎手リビア」のイメージは、ヘンリー・ワズワース・ロングフェローが1861年に発表した詩『ポール・リビアの騎行』によるところが大きく、史実とは少し違う形で語り継がれてきました。