歴史物語

ジョン・カボットに何が起きたのか?北米大陸に到達した探検家の生涯と謎の最期

ジョン・カボットとはどんな人物?

ジョン・カボット(John Cabot、1451年頃〜1498年以降)は、本名ズアン・カボット(Zuan Chabotto)とも呼ばれる、イタリア出身の航海者・探検家です。1497年の航海で北米大陸の沿岸に到達し、10世紀から11世紀にかけてノース人がヴィンランドを訪れて以来、ヨーロッパ人として初めて北米大陸本土を踏んだ人物として歴史に名を刻んでいます。

ジェノバに生まれた若き航海者

カボットは1451年、イタリアの港湾都市ジェノバで商人ジュリオ・カボト(Giulio Caboto)の息子として生まれました。彼は卓越した航海術と地図作成の技術を身につけ、プトレマイオスやストラボンなど古代の地理学者たちの著作を熱心に研究しました。さらに、同時代のクリストファー・コロンブスをはじめとする探検家たちの航海についても深い知識を得ていました。

ヘンリー7世との出会い

1496年、カボットはイングランド王ヘンリー7世に対し、大西洋を西へ横断してアジアへの新航路を見つけるという大胆な計画を提案しました。王はこれを承認し、カボットには船「マシュー号」と18名の乗組員が与えられました。

1497年の歴史的な航海

カボットは1497年5月2日、イングランドのブリストル港を出航しました。52日間に及ぶ西向きの航海の末、同年6月24日についに北米大陸の沿岸——現在のカナダ・ニューファンドランド島付近と考えられています——に到達します。彼は約1週間かけて海岸線を探索し、この土地をイングランド国王の領土として宣言しました。また、数人の先住民を連れて帰国したと伝えられています。

英雄としての凱旋と突然の終焉

1497年8月にイングランドへ帰還したカボットは、一大功績者として熱狂的に迎えられました。ヘンリー7世からは年金が授けられ、王室から手厚い報奨を受けました。こうして名声を得たカボットは翌1498年、より大規模な船団を率いて再び北米へ向けて出航します。しかしこの航海以降、彼に関する確実な記録は途絶えてしまいました。嵐の中で命を落としたのか、新大陸で何らかの事情を抱えたのか、あるいは無事に帰還したものの程なく亡くなったのか——諸説あるものの、明確な結論は今もなされていません。

カボットの航海が残した遺産

カボットの航海は、「新世界」探検史上における重要な転換点となりました。ノース人のヴィンランド来訪以来、ヨーロッパ人として初めて北米大陸本土に到達した航海であり、コロンブスやヴァスコ・ダ・ガマら後続の探検家たちの冒険心にも大きな影響を与えました。また、彼が主張した領有権は、のちのイギリスによる北米進出と植民地帝国建設の出発点となったのです。

カボットの生涯・年表まとめ

  • 1451年:イタリア・ジェノバに生まれる
  • 優れた航海者・地図製作者として頭角を現し、古典地理学を学ぶ
  • 1496年:イングランド王ヘンリー7世に西回りのアジア航路開拓を提案し、承認される
  • 船「マシュー号」と18名の乗組員を与えられる
  • 1497年5月2日:ブリストル港を出航
  • 1497年6月24日:52日の航海の末、北米大陸沿岸(現在のニューファンドランド付近)に到達
  • 約1週間沿岸を探索し、イングランド領として宣言
  • 数人の先住民を伴って帰国したと伝えられる
  • 1497年8月:英雄としてイングランドに凱旋し、年金を授かる
  • 1498年:二度目の航海に出た後、消息不明となる