1941年12月7日の真珠湾攻撃をきっかけに、アメリカは第二次世界大戦へ本格的に参戦しました。攻撃の計画・実行、そしてその後の戦争に関わった主要人物たちは、それぞれ大きく異なる運命をたどることになります。ここでは、彼らが開戦後そして戦後にどうなったのかを詳しく見ていきましょう。
フランクリン・D・ルーズベルト(アメリカ合衆国大統領)
ルーズベルトは第二次世界大戦を通じてアメリカ合衆国大統領を務めました。真珠湾攻撃の翌日、「屈辱の日」と呼ばれる有名な演説を行い、議会に宣戦布告を求めたことで知られています。
彼は国家総力戦の動員を主導し、枢軸国を打ち倒すための戦略立案を指揮しました。しかし、終戦を目前に控えた1945年4月、ヨーロッパ戦線の終結直前に逝去。後を継いだハリー・トルーマンが戦争の指揮を引き継ぐことになりました。
東條英機(日本の内閣総理大臣)
東條英機は、真珠湾攻撃当時および太平洋戦争前期における日本の首相でした。陸軍出身の軍人政治家として開戦の決断に深く関わり、アジアにおける日本の勢力圏拡大を強く推進した人物です。
しかし、戦局の悪化とともに責任を問われ、1944年7月にサイパン島陥落を受けて辞任しました。終戦後は極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として起訴され、死刑判決を受け、1948年12月に刑が執行されています。
ダグラス・マッカーサー(アメリカ陸軍大将)
マッカーサーは第二次世界大戦におけるアメリカを代表する将軍の一人です。南西太平洋方面の連合軍最高司令官として、アメリカ軍および同盟軍を率いてフィリピンの奪還作戦などを指揮しました。1942年にフィリピンから撤退する際に残した「I shall return(私は必ず戻ってくる)」という言葉はあまりにも有名です。
1945年8月の日本の降伏後も現職にとどまり、同年9月2日に戦艦ミズーリ号艦上で行われた降伏文書調印式を主宰。その後は連合国軍最高司令官(GHQ)として日本の占領政策を主導し、戦後日本の再建に多大な影響を与えました。
チェスター・ニミッツ(アメリカ海軍元帥)
ニミッツは第二次世界大戦中のアメリカ海軍を代表する提督です。太平洋艦隊司令長官として、日本海軍の優勢に対抗するための戦略策定において中心的な役割を果たしました。
特に1942年6月のミッドウェー海戦では、日本海軍の主力空母を次々と撃破する歴史的勝利を収め、太平洋戦争の転換点を作りました。また、1944年のフィリピン海海戦などでも重要な役割を担い、終戦まで太平洋艦隊の指揮を執り続けました。
昭和天皇(裕仁)
昭和天皇は第二次世界大戦中の日本の天皇であり、国民の結束と権威の象徴として君臨しました。1945年8月15日、ラジオ放送を通じてポツダム宣言の受諾を国民に伝え、終戦の実現に決定的な役割を果たしています。
敗戦後は、占領期から戦後復興にかけて混乱する国内の安定に尽力しました。1989年1月に崩御されるまで天皇として在位し続け、激動の時代を生きた日本の歴史を見届けたのです。