歴史物語

第一次ブルランの戦いの死傷者数は?北軍・南軍の損害を徹底解説

第一次ブルランの戦い(第一次マナサスの戦い)は、1861年7月21日にバージニア州で行われた、アメリカ南北戦争における最初の大規模な会戦です。この戦いで両軍合わせて約4,900名の死傷者が出ました。以下に、北軍(連邦軍)と南軍(アメリカ連合国軍)それぞれの損害状況を詳しく見ていきます。

北軍(Union)の死傷者数

北軍は総兵力約35,000名を投入しましたが、敗走により大きな損害を受けました。

  • 戦死者: 481名
  • 負傷者: 1,011名
  • 捕虜: 1,312名
  • 行方不明者: 104名
  • 合計: 約2,908名

特に注目すべきは捕虜の多さです。撤退が混乱の中でパニック状態に陥ったため、多くの兵士が南軍に捕らえられました。

南軍(Confederate)の死傷者数

勝利した南軍も決して無傷ではなく、激しい戦闘により相当な犠牲を払いました。

  • 戦死者: 387名
  • 負傷者: 1,582名
  • 捕虜: 10名
  • 行方不明者: 20名
  • 合計: 約2,000名

両軍の損害から読み取れること

合計では北軍の損害(約2,908名)が南軍(約2,000名)を大きく上回りました。しかし、負傷者数だけを見ると南軍の方が多く、戦闘自体が非常に激しいものであったことがわかります。北軍の損害が膨らんだ主な要因は、撤退時の混乱による捕虜の大量発生です。

この戦いは「戦争は短期間で終わる」という当初の楽観的な予想を打ち砕き、南北戦争が長期化する転換点となりました。また、南軍の将軍トマス・J・ジャクソンが「ストーンウォール(石壁)」の愛称で呼ばれるようになったことでも有名です。