トーマス・キング(Thomas King)は、先住民の血を引くカナダを代表する作家の一人で、国家と先住民の関係やアイデンティティの問題を、独特のユーモアと皮肉を交えて描くことで知られています。短編小説「ボーダーズ(Borders)」はそんな彼の代表作の一つであり、母親と息子が国境で巻き起こす小さな「事件」を通して、大きなテーマを浮き彫りにする名篇です。
物語のあらすじ
語り手は12歳ほどの少年。彼は母親とともに、アルバータ州カルガリーからユタ州ソルトレイクシティを目指します。目的は、家を出て一人暮らしを始めた姉ラエティシアに会うことでした。
ところが、アメリカ側の検問所で市民権を尋ねられた母親は、「カナダ人でもアメリカ人でもない」と答え、自分は「ブラックフット(Blackfoot)」だと主張します。書類上の選択肢は「カナダ人」か「アメリカ人」しかないため、母親は入国を拒否され、引き返した今度はカナダ側からも同じ理由で拒まれてしまいます。
クライマックス:二つの国境にはさまれた夜
本作のクライマックスは、母親が両国の出入国審査官と対峙し続けた結果、カナダとアメリカの検問所にはさまれた中立地帯——免税店の駐車場——で寝泊まりせざるを得なくなる場面です。母子は車の中で数日間過ごし、次第に通行人や報道機関の注目を集めることになります。
それでも母親の答えは変わりません。何度尋ねられても、彼女が口にするのは「ブラックフット」という言葉だけです。これは単なる頑固さではありません。国境線が先住民の合意なしに引かれた歴史を持つ以上、自分の帰属を決めるのは国家ではなく、民族としての誇りなのだという、静かな抵抗の表れなのです。
結末への流れ
事態が長期化すると、地元の新聞やテレビがこの親子を取り上げ、世論の関心が高まります。そうした圧力もあり、最終的にアメリカ側の審査官は折れ、母親が「ブラックフット」と名乗るままの形で入国が許可されます。母子はようやく旅を再開し、ソルトレイクシティで姉との再会を果たします。
クライマックスが意味するもの
この物語の山場は、派手なアクションではなく、一人の女性が権力の前で自らのアイデンティティを曲げなかったことそのものにあります。少年の目を通して描かれる母親の姿は、沈黙の中にある強さと尊厳の象徴といえるでしょう。
なお、トーマス・キングは「グリーン・グラス、ランニング・ウォーター」などの作品で、トリックスター(悪戯者)であるコヨーテを登場させ、先住民の神話世界を生き生きと描くことでも有名です。ただし「ボーダーズ」の主役はあくまでこの母親であり、現実の社会構造に立ち向かう、もっとも力強い「抵抗者」として描かれている点が本作の魅力となっています。