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超短命王朝・魏晋南北朝「斉」と呼ばれた国の歴史〜わずか23年で滅んだ南朝斉〜

超短命王朝・魏晋南北朝「斉」と呼ばれた国の歴史〜わずか23年で滅んだ南朝斉〜

六朝時代と「斉」

南京の前身である建康に都を置いた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の六つの王朝は「六朝」と呼ばれますが、いずれも寿命が非常に短いことで知られています。今回はその中でも特に短命だった「斉」の歴史を見ていきましょう。

なお、宋・斉・梁・陳は「南朝」と総称されます。他の南朝についても、ぜひ以下の記事をご覧ください。

成り上がり皇帝・高帝蕭道成

矢沢永吉ではありませんが、「成り上がり」が好きな人は多いものです。戦国時代が人気なのは、下剋上で身を起こした武将が数多く存在するからですし、三国志も劉備や曹操の物語だと言えるでしょう。

その意味で言えば、斉の高帝・蕭道成も物語の主人公として十分な資格を持つ人物です。

蕭道成自身は前漢の名丞相・蕭何の子孫であると自称していましたが、それを裏付ける確かな証拠はありません。彼は前王朝である宋の下級兵士から徐々に頭角を現していきました。

特に、当時最強国家だった北魏との戦いで武功を挙げたことが大きかったようです。自ら兵を集めたことから時の皇帝に疑われたこともありましたが、人材不足ゆえか重用され続けます。

宋の明帝が崩御すると皇族間で争いが勃発しました。蕭道成はこの混乱に乗じて勢力を拡大し、ついに479年、順帝からの禅譲を受けて斉を建国したのです。

……正直に言えば、高帝を主人公にした物語はあまり人気が出ないかもしれませんね。

武帝の時代とその後の混乱

南朝の皇帝にありがちなことですが、高帝蕭道成も在位わずか3年で亡くなります。

後を継いだ第2代・武帝蕭賾は強引な手腕で国力を増強させました。この時期は「永明の治」と呼ばれる比較的安定した時代でしたが、重税が原因で各地で反乱が相次ぎ、彼自身も在位約11年でこの世を去ります。

その後に待っていたのは、南朝おなじみの骨肉の争いでした。皇帝が擁立されては廃位され、護送される途中で殺されるという有様です。皇族は親族同士の争いが絶えず、明帝蕭鸞の時代には皇族ら一派20人が粛清される恐怖政治が行われ、その子たちもさらに過酷な恐怖政治を敷きました。

結局、「悪帝」「殺戮王」といった不名誉なあだ名まで付けられる始末で、その惨状は想像に難くありません。

明帝が粛清の対象を皇族だけにとどめていたのに対し、次の東昏侯は対象を天下の人々すべてに広げ、悪逆非道の限りを尽くしました。中国の歴代皇帝には、こうした突拍子もない人物がほぼ必ず現れるものです。

梁の建国と斉の滅亡

そうした流れの中で、皇族の一人である蕭衍が立ち上がりました。彼は明帝の子で東昏侯の弟にあたる和帝を擁立し、やがて和帝から禅譲を受けます。そして502年、和帝を殺害したのち梁を建国したのです。

梁も同じ蕭氏による王朝であり、歴史はよく似ています。むしろそれ以上に波乱万丈な歴史でした。

その後の王朝もまた、似たような運命をたどっていくことになります……。

わずか23年の歴史

斉は479年に建国され、502年に滅亡しました。建国からわずか23年という超短命国家です。平成の時代よりも短い王朝だったのですね……。