昨日まで宮崎に滞在し、神武天皇ゆかりの神社をいくつか参拝してきました。そこで今回は「初代天皇・神武天皇」について書いてみたいと思います。
ギネスブックも悩む「最古の王朝」問題
ギネスブックには「同一血統で受け継がれてきた王朝」という項目があります。この記録に、エチオピア王室と日本の天皇家のどちらを登録すべきか、判断が見送られた時期がありました。
その原因となったのが、初代天皇「神武天皇」の存在です。
このあたりの事情はなかなかに複雑です。
エチオピア帝国は紀元前5世紀に起源を持ち、1974年のハイレ・セラシエ皇帝退位まで2500年間続きました。一方、神武天皇の即位は紀元前660年とされているため、日本の方が古いことになります。しかも天皇家は今なお続いているのです。
エチオピア帝国については、このブログでもたびたび登場するギリシャの歴史家ヘロドトスの『歴史』にも記録があり、比較的信頼できる史料とされます。しかし神武天皇に関しては、その存在や年代をめぐって様々な議論があるのです。
ギネスブックもこの点で悩んだようです。結局、同書は日本を最古の王朝として認めるものの、「実質的には4世紀から」という但し書きを付けています。
個人的には、神武天皇が紀元前660年に即位したというのはかなり無理があると思っています。日本に関する最古の記述は、漢(後漢)の光武帝の時代、57年の「漢委奴国王」金印に関するもので、次いで239年頃の卑弥呼の記事です。
日本は長い間、文字を持たない国でした。『日本書紀』や『古事記』が編纂されるまで歴史書そのものが存在せず、中国の史書の記述に頼るほかなく、それ以外は口承によって伝えられてきました。
これはどこの国の歴史でもほぼ共通することで、自国の興隆の過程が明確にわかる国などほとんどありません。
どこの国の歴史も神話から始まる
歴史の記録に熱心だったのは中国とローマくらいのもので、イギリスやフランスなど多くの国の古代史は、ローマの書物をもとに推測された部分が大きいのです。
そしてローマや中国でさえ、建国譚には真実とは考えがたい箇所が多々あります。特にローマでは、初代王ロムルスは国家の正統性を高めるために、戦神マルスの孫とされています。
そのためロムルス自身の存在を疑う声も多く、中国の始まりも神話の世界で、下半身が蛇であったり頭が二つあったりしてもおかしくない世界観です。
個人的には、「聖書」と訳されるあの書物もユダヤ民族の建国史であり、神話的要素が大きいと考えています。
だからこそ、神武天皇にも神話的な要素が色濃く含まれているのだと思うのです。
神々の血を引いて生まれた神武天皇
神武天皇の父の名は、有名な「鵜戸神宮」に祀られています。その名は「鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」。
鵜戸神宮を訪れましたので、写真を掲載します。


鵜戸神宮は、ウガヤフキアエズが生まれたとされる洞窟(岩屋)に建てられたと伝えられています。

ちなみに、鵜戸神宮の近くにある有名な青島神社には、ウガヤフキアエズの父である「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」が祀られています。こちらにも行ってきましたので、写真をご覧ください。

近くには「鬼の洗濯板」と呼ばれる不思議な地形が広がっています。

巨人も参拝に訪れるようです。

彦火火出見尊は、天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の孫にあたります。つまり単純に言えば、神武天皇は天照大御神の子孫ということになるのです。日本の天皇は、実に由緒正しい血筋を受け継いでいるわけです。
桃太郎は神武天皇説
『古事記』や『日本書紀』によれば、神武天皇は45歳のとき、兄弟や家臣を率いて九州から大和の地へ遠征を開始しました。これが有名な「神武東征」です。
東征は現在の宮崎県にあたる日向から始まり、現在の福岡県周辺の筑紫、広島県周辺の安芸、岡山県周辺の吉備を経て、難波・河内・紀伊を通り、大和に至って定住したとされています。つまり、九州から近畿にかけての巨大な勢力圏が築かれたことになります。
大和を平定した翌年に即位し、ここに初代・神武天皇が誕生します。
私が子どもの頃、父が「桃太郎は神武天皇だ」という話に熱心でした。鬼とは大和を中心とする勢力であり、猿・犬・雉は神武天皇に協力した周辺の国々だというわけです。
それが真実かどうかはもう誰にもわかりませんが、構図としては似ているかもしれません。「神武天皇 桃太郎」で検索してみると、こうした話が意外と多く出てきます。
日本人なら誰でも桃太郎の物語を知っていますが、いつ頃語られ始めた物語なのかを知る人はいません。それほど謎めいた民話なのです。
神武東征と布都御魂剣
神武天皇が佩いていたとされるのが、有名な「布都御魂(ふつのみたま)の剣」です。これはもともと、ゲーム「ペルソナ」シリーズでもおなじみの雷神・建御雷神(タケミカヅチ)の持ち物で、東征の際に神武天皇の手に渡りました。
RPGに頻繁に登場するあの武器ですね。
伝承によれば、神武天皇は即位から76年後に亡くなりました。享年127歳、世界最長の長寿です。ギネスブックはこの点でも頭を抱えているに違いありません。
神武天皇と宮崎神宮
神武天皇は、生誕の地である宮崎の「宮崎神宮」に祀られています。
こちらにも参拝してきましたので、写真を掲載します。




結局、神武天皇は実在したのか? 地上の人だったのはいつ?
日本の歴史には不明な点が数多くあります。特に、中国の動乱が激化して日本に関する記述がほぼ途絶えた、いわゆる空白の約150年間に何が起きていたのかは、まったくわかっていません。個人的には、神武天皇はこの時代の人物ではないかと考えています。
もし神武天皇が卑弥呼よりも前に九州と近畿を平定していたら、邪馬台国の存在が少し奇妙になります。
邪馬台国が九州なのか畿内なのかは未だ確定していませんが、仮に神武天皇以降の勢力だとすれば、それは天皇に対立する勢力ということになり、『魏志倭人伝』の記述と矛盾してしまいます。
また、卑弥呼こそ天照大神のモデルではないかという説もあり、天皇家が邪馬台国の流れの中で誕生した可能性もあります。
そうでなかったとしても、後の大和政権の成り立ちを踏まえると、神武天皇は3世紀から4世紀頃の人物たちの総称か、あるいはその時代に実在した誰かではないか、と私は思います。
中国の南北朝時代、宋(劉宋、420~479年)の記録には「倭の五王」と呼ばれる人々の記述があります。彼らは古墳で名高い天皇たちに相当するという意見があり、仁徳天皇は第16代天皇なので、決して不自然ではありません。
一方、もし紀元前660年の人物だとすると、1000年余りの間に天皇が15代程度しか続かないことになり、これはかなり不審です。
個人的にしっくりくる結論は、邪馬台国は九州にあり、神武天皇が東征して四国を除く西日本を統一した、というものです。
初代の天皇は必ず実在したはずですから、「神武天皇」という存在そのものはあったと思います。ただし、西日本が一代で平定されたかどうかは疑問です。複数の人物の功績が一人に集約された可能性もあり、少なくとも紀元前660年ではないことは確かなのではないでしょうか。