八色の姓(やくさのかばね)とは、天武天皇14年(684年)に新たに制定された8種類の姓(かばね)のことです。
制定の目的は、天皇家の地位を確固たるものにするとともに、皇族および有力氏族の序列を明確に整理することにありました。律令国家の形成が進む中で、それまで複雑に入り組んでいた氏族の身分秩序を再編成しようとした政策といえます。
そもそも「姓(かばね)」とは何か、という基礎的な部分については、古墳時代の姓氏制度を解説した前回の記事もあわせてご覧いただくと理解が深まります。
八色の姓の序列
まず全体像として、8つの姓は以下の順序で序列づけられていました。
真人(まひと)> 朝臣(あそん)> 宿禰(すくね)> 忌寸(いみき)> 道師(みちのし)> 臣(おみ)> 連(むらじ)> 稲置(いなぎ)
真人(まひと)
最上位に位置する姓です。継体天皇(在位507年〜531年)の近親者、およびそれ以降の歴代天皇・皇子の子孫に与えられました。天皇家に最も血縁の近い一族だけが名乗れる、特別な姓でした。
朝臣(あそん/あそみ)
皇族以外では最高位にあたる姓です。壬申の乱(672年)で功績を挙げた、伝統的に「臣」姓を持っていた豪族たちに与えられました。古代に皇籍から離脱した氏族が多いとされています。
時代が下るにつれ、朝廷への貢献が認められた者にも授与されるようになったため、後世の史料では他の姓との比較で目にする機会が非常に多くなります。有名なところでは、藤原氏や大伴氏などが朝臣姓を称しました。
宿禰(すくね)
従来「連」姓を名乗っていた人物に与えられた姓です。こちらも時代とともに功績のある者へ授けられるケースが見られます。
その起源は古く、日本神話に登場する「天津神」や「国津神」の子孫とされる神別氏族に与えられていたものでした。
忌寸(いみき)
主に渡来人を中心に、国造りに貢献した一部の氏族へ与えられました。技術や知識をもって朝廷に仕えた氏族たちが、この姓を与えられることで一定の地位を保障されました。
制定されたのに一度も授けられなかった4つの姓
八色の姓には、制度としては定められたものの、実際には誰にも授与されなかった姓が含まれています。それが以下の4つです。
- 道師(みちのし)
- 臣(おみ)
- 連(むらじ)
- 稲置(いなぎ)
実際に運用されなかったため、これら4つの姓がどのような家柄を想定して設けられたのかは、はっきりと分かっていません。旧来の臣・連という大姓を廃止しつつ、その格を新体系の中に組み込むための措置だったと考えられています。
まとめ
八色の姓は、684年に新設された8つの姓であり、その序列は「真人>朝臣>宿禰>忌寸>道師>臣>連>稲置」となります。
天皇家との血縁の近さや、朝廷への貢献度に応じて氏族の格を細かく区分するこの制度は、天武天皇による権威強化の一環として重要な意味を持ちました。実際に運用されたのは上位4つの姓にとどまりましたが、以後の氏族制度の基本枠組みとなった点で、日本古代史における転換点のひとつといえるでしょう。