アジアの歴史

明智光安とは?若き光秀を守り抜いた叔父の生涯と壮絶な最期

明智光安(あけち・みつやす)は、若くして亡くなった兄・光綱の遺志を受け継ぎ、幼い光秀の後見人として明智家を支えた人物です。

光秀が元服した際には家督を譲ろうとしましたが、光秀に固辞されたため、光安は引き続き明智家の中心として家を支え続けました。

明智光秀と同様、光安の生涯は確かな史料にほとんど残されておらず、江戸時代に編まれた軍記物『明智軍記』など、創作性の強い資料からしか知ることができません。そこで今回は、不確定な点が多いことを踏まえながら、明智光安の生涯をたどっていきます。

兄・光綱の死後、光秀の後見人として明智家を支える

明智光安は、光秀の叔父にあたる人物です。

光綱の死後、幼い光秀の後見人として明智家を盛り立てることを決意した光安は、家の存続のため日夜奔走しました。領地の経営は光安ら大人たちが担い、次期当主となる光秀は将来のために武芸や学問に励んだといわれています。

1550年(天文19年)頃の美濃国では、守護代の斎藤道三が勢力を拡大していました。守護・土岐氏に仕えてきた明智家は、東濃の明智城を本拠地としながら、台頭する道三に従うことで生き残りを図りました。

一説によれば、光安の娘が道三の側室として斎藤家に嫁いだともいわれ、明智家と斎藤家の間には姻戚関係があったとされます。そう考えると、大河ドラマ『麒麟がくる』で描かれる道三と明智光安・光秀の親密な関係にも納得がいきますね。※なお、この側室は「お牧の方」と呼ばれ、人質として輿入れしたとも伝えられています。

斎藤道三と義龍の対立

1553年(天文22年)、光安に代わって光秀が「宗継」と名乗って明智家の家督を継いだ、と考えられています。

道三が守護・土岐頼芸を追放して美濃を統一すれば、斎藤家と姻戚関係にある明智家も安泰——そう思われましたが、今度は道三とその息子・義龍の対立が表面化します。

この親子の争いでは、道三を裏切った義龍が悪役のように扱われがちでした。しかし近年の研究では、美濃統一後の悪政や政策の失敗によって道三が家臣や国人たちの信頼を失い、水面下では義龍派が多数を占めていた、と考えられています。

道三は信長の正室・帰蝶の父でもあるため、歴史上かなり不利な扱いを受けてしまったのかもしれません。結果として斎藤氏は織田氏に美濃を奪われることになり、信長視点の資料が多く残されたことも、道三のイメージに影響しているのでしょう。

そして1556年(弘治2年)、道三と義龍父子は長良川の戦いで激突することになります。

斎藤氏の家臣であった明智光安と光秀は、この争いでどちらかに与しなければなりませんでした。美濃の情勢から道三が不利であることは明白でしたが、血縁だけでなく個人的な信頼でも結ばれた道三を見捨てることのできなかった光安は、苦渋の選択として「中立」の立場を取ることを決めます。

義龍から帰参の勧めもありましたが、光安は明確な態度を示さず中立を保ったまま、長良川の戦いは幕を開けました。


明智家再興を光秀に託し、自害へ……

道三と義龍父子の戦いでは、道三は義龍の圧倒的な兵力の前に敗れ去ります。

道三を破った義龍は、中立を保ちながらも味方にならなかった明智光安に対して兵を差し向けました。このとき家臣たちはまだ残っていたものの、東濃での反乱を恐れる義龍は受け入れなかったといいます。

義龍軍は3000、対する明智勢はわずか1000。光安たちは居城・明智城に籠城することを決めました……。

明智一族の家臣たちを率いた光安はなんとか攻撃をしのぎますが、決戦を覚悟した光安はその夜、「最後の晩餐」と称して宴を開きました。

翌日の決戦では皆がそれぞれの奮戦を見せましたが、勝ち目がないことを悟った光安は城に戻り、自害を決意します。

こうして明智城に戻った光安でしたが、ここで『麒麟がくる』でも描かれることになる場面がありました。武士らしく自ら命を絶とうとする光安と運命を共にしようとした光秀に、光安はこう語りかけたのです。

※西村雅彦さんが演じる明智光安のイメージで書いています。

【光秀よ、私はこれより自害する。明智家はここで断絶するかもしれぬが、兄(光綱)の遺志もあるし、お前の志を終わらせるわけにはいかん。私と一緒に死のうとしているようだが、どうか降って明智の名家を立て直してくれ。その際には、我が子・秀満とともに明智家を盛り立ててくれるのう……】

明智光秀は光安の言葉に従い、秀満とともに明智城を脱出します。その後、西美濃へ落ち延び、諸国を流浪した末に朝倉義景に仕えたといわれています。

遺言を託した光安は、光秀たちの脱出を見届けると、城に火をかけて自害したのです。

光安の逸話は本当に史実なのか?

『麒麟がくる』前半で重要人物の一人である明智光安について、その生涯を書いてきましたが、内容はすべて後世に編纂された二次資料に基づくものです。光秀の出自や青年期の記述は信憑性が低く、そもそも光安という人物が実在したのかどうかも定かではない、というのが実情です。

実際、「明智城の戦い」に関する逸話は「出来すぎている」という評価が一般的です。「斎藤道三の血筋では裏切れない」という点も、合戦中の描写も細かく書かれすぎており、さらに明智家再興を託された光秀がそれを見事に成し遂げるという構成は、物語としてできすぎている感があります。

歴史に詳しい方なら、これは史実ではないとすぐに分かるでしょう。しかし、あまりにも美しい物語だからこそ、『麒麟がくる』で採用されたのだと思います。個人的には、西村雅彦さん演じる明智光安の最期が映像でどう描かれるのか、とても楽しみにしています。