アジアの歴史

モンゴル人は中国から追い出されたのか?元王朝支配の真実を解説

「モンゴル人はどのようにして中国から追い出されたのか?」という問いに対する答えは、実は少し複雑です。少なくとも元王朝の時代において、モンゴル人は追われる側ではなく、中国を支配する統治者でした。

モンゴル人は元王朝の支配者階級だった

13世紀後半、チンギス・ハンの孫であるフビライ・ハンは1271年に国号を「大元」と定め、1279年には南宋を滅ぼして中国全土を統一しました。以降、14世紀半ばまでのおよそ90年間、モンゴル人は中国の支配的エリート層として君臨することになります。

元王朝では民族ごとの序列が設けられ、モンゴル人が最上位に位置づけられました。高官の多くはモンゴル人や色目人(中央アジア出身者)が占め、漢人は下位の身分に置かれるなど、征服王朝としての性格が色濃く表れていました。

元王朝の滅亡と北への撤退

しかし、14世紀半ばになると治水事業や通貨政策の失敗、飢饉や疫病の流行などを背景に、各地で反乱が頻発するようになります。なかでも紅巾かでも紅巾軍の乱は大きな勢力へと成長し、その中から台頭した朱元璋(しゅげんしょう)が1368年に南京で即位、明王朝を樹立しました。

同年、明軍は首都の大都(現在の北京)を攻略します。最後の皇帝トゴン・テムルは北方のモンゴル高原へ撤退せざるを得なくなり、ここで初めてモンゴル勢力は中国本土から退くこととなりました。この政権は歴史上「北元」と呼ばれています。

まとめ

つまり、モンゴル人は当初「追い出された」わけではなく、約1世紀にわたって中国の支配者として君臨していたのです。しかし14世紀後半、明の勃興により中国本土からの撤退を余儀なくされ、結果的に故地であるモンゴル高原へと戻ることになりました。