はじめに:中立を選べなかった現実
アメリカ独立戦争(1775年〜1783年)がネイティブ・アメリカン(インディアン)各部族に与えた影響は、部族ごとに大きく異なっていました。なかには戦争を通じて中立を維持しようとした部族もありましたが、多くの部族はそれを貫くことができず、結果としてイギリス側とアメリカ側に分かれて戦うことになりました。
本記事では、中立を模索した部族、イギリス側についた部族、アメリカ側についた部族、さらに内部で分裂した部族に分けて、それぞれの動向を見ていきます。
中立を模索した部族
イロコイ連邦(六カ国)
現在のニューヨーク州周辺を中心に拠点を構える六つの部族からなるイロコイ連邦は、独立戦争の初期に中立の維持を目指しました。紛争に巻き込まれることを避け、大切な交易関係を守ろうとしたのです。しかし、戦火が拡大して緊張が高まるにつれ、連邦は最終的にイギリス側へと傾いていきました。
チェロキー
チェロキーの大多数は当初、中立を宣言していました。ところが部族内の対立が表面化すると、イギリスと同盟を結ぶ一派が形成されます。その結果、チェロキーは戦争期間を通じて、村ごとに支持する陣営が異なるという分裂状態に陥りました。
イギリス側についた部族
モホーク
イロコイ連邦の一員であるモホーク族は、指導者ジョセフ・ブラント(サヤエンダネゲア)のもとでイギリスと同盟を結びました。彼らは戦闘に積極的に参加し、兵站支援や斥候(スカウト)として重要な役割を果たしています。
セネカ
同じくイロコイ連邦の一員であるセネカ族もイギリス側に付き、多くの戦士を戦場へ送り出しました。
ショーニー
ショーニー族は意見が分かれ、一部はアメリカ側を、別の一部はイギリス側を支持しました。このため部族内には深刻な内部対立が生じることとなりました。
アメリカ側についた部族
オナイダ
イロコイ連邦の一員でありながら、オナイダ族はアメリカ側との同盟を選びました。オリスカニーの戦い(1777年)での協力や、バレーフォージで苦しむ大陸軍への食糧支援など、その貢献は多岐にわたります。
タスカローラ
イロコイ連邦に属していたタスカローラ族は、イギリスに対する長年の不満を抱えており、独立戦争ではアメリカ側に付きました。
内部分裂した部族
デラウェア
デラウェア族は深く分裂しており、それぞれの忠誠心や同盟関係に応じて、両陣営のどちらにも戦士を送り込みました。
クリーク
クリーク連合もまた分裂していました。一部の勢力はイギリスを支援した一方、別の勢力はアメリカ側を支持します。こうした内部対立は、クリークの社会に大きな紛争と暴力をもたらしました。
部族の選択を左右した要因
各部族の決断は、決して単純なものではありませんでした。伝統的なライバル関係、土地をめぐる紛争、領土の変化、歴史的な遺恨など、数多くの要因が複雑に絡み合い、独立戦争中の政治的・戦略的な選択に大きな影響を与えたのです。
つまり「中立」は理想ではあっても、当時の先住民部族にとって実現が極めて難しい選択肢だったといえるでしょう。