ヘンリー砦の戦い(1862年2月6日)
1862年2月6日、テネシー川沿いで繰り広げられたヘンリー砦の戦いは、南北戦争における北軍(連邦軍)にとって西部戦線で初めての実質的な勝利となりました。ユリシーズ・S・グラント将軍とアンドリュー・フート代将による水陸からの共同作戦により、南軍の重要な川上要塞が陥落した歴史的な戦闘です。
両軍の損害
北軍の損害:
戦死者:18名/負傷者:32名/不明:1名
合計:51名
南軍の損害:
戦死者:2名/負傷者:22名/不明・捕虜:59名
合計:83名
北軍の戦略的勝利
グラント将軍指揮下の北軍部隊は、すでにテネシー川の河口付近に上陸しており、南下作戦に向けた準備を進めていました。ヘンリー砦はテネシー川上流を掌握する極めて重要な要塞であり、グラントは川と陸の両面から攻撃を行う計画を立てていました。
水陸からの共同攻撃
2月6日の朝、木造砲艦・装甲艦・臼砲艇からなる小規模な艦隊がイリノイ州カイロを出港し、ヘンリー砦へと向かいました。これらの砲艦は傾斜した甲板と装甲された舷側を備え、南軍の砲弾が弾き返されるよう設計されていました。さらに乗員たちは、操舵室を干し草の俵で囲んで身を守りました。
河川艦隊の指揮を執ったのはアンドリュー・フート代将です。同時に、グラント将軍は17,000名の兵力を率いてテネシー川東岸を南下しました。午後の中頃までにフートの砲艦隊は所定の位置に着き、南軍の土塁土塁陣地への艦砲射撃を開始。砲撃は1時間以上続き、南軍の砲兵も一発ずつ応射して抵抗しました。
決定的な一撃と降伏
ついに午後2時、フート艦隊の砲艦の一砲艦の一隻がヘンリー砦の火薬庫に命中弾を与え、炎上させました。直後に起きた大爆発により要塞の防御力は失われ、南軍司令官ロイド・ティルマン准将はまもなく白旗を掲げて降伏しました。守備隊約3,000名のうち24名が死傷し、ティルマン将軍自身を含む59名が捕虜となりました。
この勝利の歴史的意義
ヘンリー砦における北軍の勝利は、西部戦線における北軍初の実質的な勝利であるだけでなく、今後の戦いにおいて河川作戦が極めて重要であることを実証しました。この勝利は続くドネルソン砦の攻略への道を開き、北軍によるテネシー川流域制圧の重要な足がかりとなったのです。