北米の歴史

トレントンにイギリス軍を残してワシントン軍を監視したのはハウ将軍か?実はコーンウォリス将軍だった

トレントンに大規模なイギリス軍を残したのは誰か?

アメリカ独立戦争中の1776年冬、ハウ将軍(ウィリアム・ハウ)ではなく、コーンウォリス将軍(チャールズ・コーンウォリス)こそが、ワシントン軍を監視するために大規模なイギリス軍をニュージャージーのトレントン一帯に残した人物です。

歴史的背景

1776年8月のロングアイランドの戦い以降、ハウ将軍はワシントン率いる大陸軍をニューヨークから追い出し、ニュージャージー各地を占領していきました。しかし冬季が近づくと、ハウ将軍は本隊とともにニューヨークへ戻り、冬季宿営に入ることを決めます。

ニュージャージー方面の防衛と監視任務は、コーンウォリス将軍に委ねられました。彼はデラウェア川沿いの複数の拠点、特にトレントンに兵力を配置し、川の対岸ペンシルベニアに退いたワシントン軍の動きを警戒させたのです。

その後の展開

この配置が歴史の転換点となります。1776年12月26日、ワシントンは悪天候をついてデラウェア川を渡河し、トレントンを奇襲してヘッセン傭兵部隊を撃破しました。これが有名なトレントンの戦いです。コーンウォリス将軍は即座に反撃に出ましたが、続くプリンストンの戦いでもワシントンに勝利を許し、大陸軍は勢いを取り戻すことになります。

つまり、「トレントンにイギリス軍を残してワシントン軍を監視した」という役割を担ったのはハウ将軍ではなく、現地の指揮権を持っていたコーンウォリス将軍だというのが正確な歴史認識です。