ヨーロッパの歴史

1994年シュヴェリン・ソフトウェアスキャンダル――財務システム「KoFi」が生んだ百万マルクの大穴

1994年8月、ドイツ北東部メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都シュヴェリン市は、コンピュータ大手ジーメンス・ニクスドルフ社との最初の契約に調印した。

同年夏、シュヴェリンで幕を開けたのは、その後何年にもわたって州都を揺るがし続ける一大スキャンダルだった。その中心にあったのが、同社の新型財務ソフトウェア「KoFi(自治体財務システム)」である。旧システムはすでに限界に達しており、市の首脳部は新プログラムの導入が必要だと結論づけた。期待されていたのは、増収と人員削減という二つの効果だった。

増収どころか、数百万マルクの大穴

ところが、この期待はあっけなく裏切られる。最終的に市の金庫には数百万マルク規模の大穴が開いた。責任者たちが契約段階で自衛策を盛り込まなかったことが最大の要因だ。ソフトウェア自体は最新鋭だったものの、実務では使い物にならなかったのである。

「社会扶助費を支払うことすらできませんでした。税や賦課金の徴収も問題続きで、市が一体どんな契約を結んだのか、真剣に問い直さざるを得ない状況でした」と語るのは、ハルトヴィヒ・ヴィッシェンドルフ氏だ。かつて製造業の企業でIT責任者を務めた彼は、現在、自由時間を捧げて東西統一後のシュヴェリンのスキャンダル群を研究している。KoFiスキャンダルについては、NDRの番組『ノルトマガツィーン』およびNDR.deへの寄稿で綿密に記録・検証している。

混乱に陥れた政治家たち

KoFiは1995年度から本格稼働した。しかし年内早々、重大な欠陥のために市は外部のKoFi専門管理者を雇用し、その報酬まで負担することを余儀なくされる。追加コストは雪だるま式に膨らんでいった。

主務局長のクラウス・アフレルバッハは1996年に退任へ追い込まれ、17万5000マルクの退職金を受け取った。当時の市長ヨハネス・クヴァジック(SPD=ドイツ社会民主党)にとって、KoFi問題は政治的生存を懸けた闘いとなった。そもそも導入決定は、市議会議員たちにほぼ内緒で進められていたからだ。それでも議会は後に、辛うじてKoFi続行を可決。この採決がクヴァジックの座を救うことになった。しかし時が経ち、彼は今度はアフレルバッハへの退職金支払いをめぐって法廷で説明を求められた。裁判は最終的に、上級市長の無罪で結審している。

残された甚大な損害

結局のところ、KoFiは年月をかけて少しずつ改善していった。だがその頃には、問題児プログラムはすでに取り返しのつかないほどの損害を生み出していた。税額通知書の時効成立の危機、根拠不確かなまま送り出された3万件超の督促状、そして1997年度決算処理のために走らせた7回のコンピュータ計算が、7通りもの異なる結果を返す始末。市役所では危機対応会議が次々と開かれ、市民の怒りは頂点に達した。

関係者の試算によれば、KoFiがもたらした物的損害の総額は約1000万マルクに上るという。さらに深刻だったのは、シュヴェリンのイメージダウンだ。ZDF(ドイツ第二テレビ)は税金の無駄遣い問題を題材に、州都シュヴェリンからの生放送特番を組んだのである。

学んだこと――完全ではないが

当時、ティモ・ヴェーバーは地元紙『シュヴェリナー・フォルクスツァイトゥング』の地方版編集長を務めていた。今日のヴェーバーは、市が一定の教訓を得たことを認めている。「行政はここ数年で多くの改善に取り組んできました。今では――完全とは言えないまでも――自分たちが市民へのサービス提供者であることを理解するようになったのです」と、ヴェーバーは『ノルトマガツィーン』の中で語っている。