スペインでは、眠れぬまま苦しい夜を過ごしたとき、「トレドで一夜を過ごした」という言い方をすることがあります。一見穏やかなこの表現の背景には、8世紀末に実際に起きた凄惨な出来事が隠されているのです。その発端となったのは、797年、後ウマイヤ朝のコルドバを治めるアミール(首長)、アル=ハカム1世(アブドゥッラフマーン1世の孫)の時代の出来事でした。
支配に屈しない町、トレド
トレドの人々は古来、権力者に対して容易に頭を下げない誇り高き民であり、ある程度の自治と独立を保ちながら生きてきました。アル=ハカム1世は、この「反抗」を迅速かつ断固として終わらせることを決意します。
計画の実行役として選ばれたのが、アムルスという名の新任総督です。彼に与えられた命令は、あたかもコルドバから独立して統治するかのように振る舞い、市民の不満や要求にも真摯に耳を傾けて検討すると信じ込ませること。その狙いはただひとつ――トレドの人々の信頼を勝ち取ることにありました。
歓迎晩餐会に仕掛けられた罠
アムルスは美辞麗句を携えて着任し、当初は見事な統治ぶりを披露しました。やがてトレドの貴族たちが慢心し始めたころ、アル=ハカム1世の計画は本格的に動き出します。
アムルスは、王太子アブドゥッラフマーン2世がコルドバの王位に就くことを口実に、トレド中の名士たちを自邸に招き、皇太子の歓迎晩餐会を開くと告げました。疑いを抱かなかった貴族たちは、自慢の晴れ着に身を包み、続々と館へと向かいます。
しかしそこで待っていたのは祝宴ではありません。貴族たちが一人ずつ扉をくぐると、その裏側には皇太子の親衛隊が待ち伏せしており、斬り殺された者たちは、事前に掘られていた深い穴へと次々に投げ込まれていったのです。

「あの湯気は台所の煙ではない」
惨劇は続き、多くの貴族が命を落としました。犠牲者の数については、数百人と記す年代記もあれば、数千人に及んだと伝えるものもあります。そんな折、館の外にいた一人が異変に気づき、こう叫びました。
「トレドの民よ、あの立ち上る蒸気(血の気)を生み出しているのは台所の湯気ではない。剣なのだ。神に祈る!」
この叫びによって、まだ館に入っていなかった人々は命からがら逃げ延びることができました。この事件は、後に「塹壕の日(Jornada del Foso)」として知られるようになります。
静寂をもたらした一夜
こうしてアル=ハカム1世は目的を完遂し、トレドは以後長きにわたって平穏を取り戻します。しかし、その平穏があまりにも多くの血の上に成り立っていたことは否めません。
眠れず苦しんだ夜を「トレドの一夜」と呼ぶようになったのは、この恐ろしい歴史的出来事に由来するのだと言われています。穏やかな言葉の裏に、こんな壮絶な物語が隠されていたとは思いもしませんでしたね。