アーサー王の実像をめぐる数々の仮説
ハリウッドは毎年のように、中世ヨーロッパの象徴的存在であるアーサー王を題材にした映画を送り出しています。2017年公開の『キング・アーサー』もその一つです。この伝説の主役となった「実在の人物」を探る試みは昔から絶えず、モデルとして名前が挙がってきた歴史上の人物は決して少なくありません。
その筆頭格が、2世紀に実在したローマ軍団兵ルキウス・アルトリウス・カストゥスです。この説は2004年の映画『キング・アーサー』でも採り上げられ、ローマの兵士が王へと至る物語が描かれました。ほかにも、5世紀の王リオタムス、7世紀のウェールズ王アスルイス・アプ・メイリグ、5世紀のブリテンの軍事指導者オワイン・ダントグウィンなど、数多くの「アーサー候補」が議論の俎上に載せられてきました。

『キング・アーサー』(2017)
伝説はいつ誕生したのか
プランタジネット朝初代のイングランド王ヘンリー2世は、イングランドの地における自らの支配を正当化するため、修道士ジェフリー・オブ・モンマスに幻想的な系譜の作成を命じたとされます。1136年にまとめられた『ブリタンニア列王伝』において、ジェフリーはブリテン王家の由緒をトロイアの英雄アイネイアースにまで遡らせました。こうしてノルマン人の新たな支配層は、自らのための叙事詩を手に入れたのです。それ以前は単なる戦士として言及されるにとどまっていた「王」の物語は、この頃から広まり始め、後世のさまざまな加筆によって豊かに彩られていくことになりました。
スペインの「アーサー候補」――武人王アルフォンソ1世
本稿では、この「アーサー候補」のリストに、もう一人異色の名前を加えたいと思います。それはアラゴン王アルフォンソ1世(武人王/エル・バタジャドール)です。1992年、スイスの研究者アンドレ・ド・マンダッハが、13世紀のドイツの騎士詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩『パルチヴァール』を分析し、この新しい候補を提唱しました。同作品は円卓の騎士パルチヴァールの活躍を歌ったもので、その一部の箇所では王が「アンフォルタス」という名で呼ばれます。アルフォンソ1世(1073~1134)が名乗っていた称号は「Alfonso Totus Rex(アルフォンソ、全き王)」であり、その省略形こそが「Anfortas(アンフォルタス)」に一致するというのです。

アラゴン王アルフォンソ1世「武人王」
この王は、中世の理想像そのものに、騎士修道会への強い傾倒を見せ、自らもその一員となるほどでした。彼に随伴した騎士たちには、従兄弟にあたるペルシュ伯ロトルー2世(Percheval=パーシヴァル?)や、ベアルン伯ガストン(Galbearn)といった面々が名を連ねています。その広大な征服活動は、1126年のグラナダ遠征から1131年のバイヨンヌ包囲にまで及びました。グラナダ遠征では彼自身も兵士たちとともに漁をしたと伝えられ、アーサー王物語に登場する「漁夫王」の伝承と見事に重なります。さらにバイヨンヌ包囲には貴族ペドロ・ゴンサレス・デ・ララが加わりましたが、この人物は数年前、武人王の妻ウラカを幽閉されていたカステジャル城(サラゴサ)から救い出していました。これはランスロット伝説の反映とも読み取れるエピソードです。こうしてみると、円卓の騎士パーシヴァルの造形には、アルフォンソ王の生涯が投影されていると言えるかもしれません。
アラゴン王の冒険譚は、どうやってブリテンへ渡ったのか
バルセロナ伯にしてアラゴン王子ラモン・ベレンゲー4世と、アルフォンソ1世の姪ペトロニラとの結婚以降、彼らとイングランド王ヘンリー2世との関係は極めて緊密でした。実際、ラモン・ベレンゲーの遺言では、ヘンリー2世が息子(後のアラゴン王アルフォンソ2世)の後見人に指名されています。
また、多くのブリテンの騎士たちが、ピレネー以南での「異教徒」との戦いに身を投じました。トルトサ征服ではヘンリー2世麾下の兵士たちがアラゴン軍に加わり、エブロ川畔の重要拠点を攻略。このとき定着した「アングレス」「ガレス」といった姓は、今も当地に残っています。彼らは1118年のサラゴサ奪還にも参加しており、そこにはロマンス語圏最初期の作者と目されるギヨーム・ド・ポワティエ(吟遊詩人ギヨーム)の姿もありました。この人物を通じてアラゴン王家とブリテン王室は結びつくことになります。すなわち、アキテーヌのアリエノールはヘンリー2世へ嫁ぎ、もう一人のペトロニラはアラゴン王妃となったのです。ヘンリー2世とアリエノールの結婚により、遠方の精鋭騎士たちを率いて放浪の宮廷を巡る「闘う王」の物語が、イングランドの宮廷にもたらされたことは疑いありません。これにピレネー以南の戦役から生還した戦士たちの証言が加われば、伝説が生まれる土壌は十分に整っていたと言えるでしょう。

サン・ガルガーノの剣
「アーサー王」神話の誕生
こうして神話「アーサー王」が誕生します。少し後の時代のフランス詩人クレティアン・ド・トロワがそうしたように、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハもまた、アルフォンソ1世武人王の生涯を、理想的な中世君主の規範として取り上げたのです。ジェフリーの創造した「アーサー」は王の称号を与えられ、国際的な広がりを持つ存在へと昇華されました。この時代にかたちづくられた物語の全体像を眺めると、事実、地名、人物、出来事の一つひとつに、あのアラゴン王の姿が共通の糸として浮かび上がってきます。
聖剣エクスカリバー伝説の着想源とされるサン・ガルガーノの剣と同じように、円卓の王の原像はイベリア半島にこそ眠っているのかもしれません。フィクションならではの歪んだプリズムを通してみるとき、そこにはアーサー、グィネヴィア、ランスロット、そしてパーシヴァルの姿を認めることができるのです。