「メセナ」の語源は古代ローマの人物だった

企業の採用試験や公務員試験でよく耳にする「メセナ活動」という言葉。その語源となったのが、今回ご紹介するガイウス・マエケナス(Gaius Maecenas)です。
「マエケナス」をフランス語読みにすると「メセナ(mécénat)」となります。メセナ活動とは、企業が文化芸術活動を保護・支援するために行う投資のこと。この言葉が生まれたのは、マエケナスがウェルギリウスやホラティウスといった一流詩人たちを保護したことに由来しています。
皇帝アウグストゥスの「左腕」
軍事と政治の両面で活躍したアグリッパが皇帝の「右腕」だとすれば、外交面で活躍したマエケナスは皇帝の「左腕」と呼ぶことができます。
マエケナスはアグリッパやアウグストゥス(オクタウィアヌス)と同じく騎士階級(エクィテス)の出身ですが、そのルーツはエトルリア人に求められると言われています。ある意味、ローマ人よりも古い血筋を持つ人物とも言えるでしょう。
生まれたのは紀元前70年頃とされ、オクタウィアヌスやアグリッパより7歳ほど年長でした。
アウグストゥスとマエケナスがいつ親交を結んだのかは詳しく分かっていませんが、フィリッピの戦い(紀元前42年)の前後に出会ったと推測されています。
マエケナスは、ローマ人の出世街道である「クルスス・ホノルム」をあえて捨て、アウグストゥスの私設秘書のような立場で仕えました。
ローマ人にとって、プラエトル(法務官)やコンスル(執政官)といった要職に就くことは最高の栄誉であり、それを果たせば元老院の議席を得ることができます。当時の時代背景を考えれば、これを自ら放棄するなど考えられない話でした。
だからこそ、マエケナスの活躍は現代までほとんど知られていません。ローマの公式文書には彼の名前がほとんど記されておらず、「黒子(くろこ)」のように影で支え続けた人物だったと言うのが適切でしょう。
具体的な功績としては、オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスによる第二回三頭政治の成立につながる「タレントゥム協定」の調印に関わったこと、またオクタウィアヌスがポンペイウスの子息たちやアントニウスと戦っている間、ローマで彼の代理を務めたことなどが挙げられます。
この時期、オクタウィアヌスが各地での戦いに専念できたのはマエケナスの助力があってこそだと言われ、多くの研究者が彼を「影の功労者」と評しています。
しかし、アクティウムの海戦(紀元前31年)以降のマエケナスについては完全な謎に包まれています。一時期オクタウィアヌスと不仲になったとも伝えられ、あるいは皇帝となったアウグストゥスの影のブレーンとして、完璧に陰に徹していたのかもしれません。
真相は定かではありませんが、アウグストゥスはしばしばマエケナスの邸宅に滞在し、政策について語り合っていたと言われています。また、ローマの正統性を描いた叙事詩『アエネーイス』をウェルギリウスに執筆させたのも、実はマエケナスだったと伝えられています。
マエケナスは紀元前8年に静かにこの世を去りました。遺言では、全財産をアウグストゥスに譲ると記されていたようです。
文化芸術の守護者

冒頭でも触れたように、マエケナスが最もよく知られているのは、詩人たちの保護者としての側面です。
哲学がギリシャで発展したのに対し、ローマでは詩が発展しました。
ルネサンス期に活躍したダンテは、この時代の詩人ウェルギリウスを深く尊敬しており、自作の『神曲』にウェルギリウスを登場させています。
また、ローマ三大詩人と称されるオウィディウスやホラティウスも、マエケナスの保護を受けていたことで知られています。彼らの存在はローマ文化だけでなく、後世の貴族たちにも大きな影響を与えました。貴族たちはマエケナスに倣って芸術家を保護するようになり、それはやがてルネサンス文化の土壌となったのです。
パトロンによる保護がなければ芸術の発展はあり得なかったように、マエケナスがいなければルネサンスもなかったかもしれない、と言っても過言ではないでしょう。
ローマの公式記録にはほとんど名を残していないものの、後世に与えた影響の大きさを考えれば、マエケナスが世界史において著名な人物であることは明らかです。