「アメリカはなぜイギリスやフランスを優遇するようになったのか」という問いには、まず前提を整理しておく必要があります。第一次世界大戦(1914年〜1918年)の勃発当時、ウィルソン大統領率いるアメリカは公式には厳正中立の立場をとり、開戦から約3年間、交戦国のいずれにも与しませんでした。
公式には中立、しかし現実は連合国寄りに
ただし、この「中立」は建前だけの話ではありませんでした。戦争が長期化するにつれ、アメリカ経済はイギリスやフランスとの貿易・融資を通じて深く結びついていきます。武器や食料、原材料の輸出は急増し、大手銀行を通じた連合国への巨額の借款も積み重なりました。もし連合国が敗れれば、これらの債権が回収できなくなる恐れがあったため、アメリカの金融界や産業界は自然と連合国側の勝利を望むようになったのです。
中立を崩したドイツの行動
一方、ドイツは無制限潜水艦作戦を展開し、商船のみならず旅客船までも攻撃しました。1915年の客船ルシタニア号撃沈事件ではアメリカ人乗客も犠牲となり、アメリカ世論は大きく反発します。さらに1917年初頭には、ドイツがメキシコに対して対米参戦を促す内容を記した「ツィンメルマン電報」が暴露され、国内の対独感情は決定的に悪化しました。
1917年4月、ついに参戦へ
こうした経緯を経て、ウィルソン大統領は1917年4月6日、議会の承認を得て対独宣戦を布告します。これは終戦(1918年11月)のおよそ1年半前のことであり、「終戦のわずか3か月前」という説明は誤りです。アメリカの参戦は、物量と資金の面で連合国を大きく支え、戦局を決定づける転換点となりました。
まとめ
アメリカは当初、特定の国を意図的に優遇していたわけではなく、あくまで公式な中立を維持していました。しかし、経済的な結びつきの深まりとドイツの一連の挑発行為によって、事実上、そして最終的に連合国側へと傾いていったのです。つまり「優遇」は突発的な政策転換ではなく、経済的利益と国家安全保障の観点から段階的に形成されたものだといえるでしょう。