ヨーロッパの歴史

1797年〜1801年の世界史:ナポレオン台頭と激動の5年間を年表で振り返る

はじめに

1797年から1801年までの約5年間は、フランス革命の余波を受けながら、ナポレオン・ボナパルトが一躍歴史の表舞台へ躍り出た激動の時代でした。ヨーロッパでは対仏大同盟との戦争が繰り返され、国境線が何度も引き直されました。一方、大西洋の向こうでは新興国家アメリカ合衆国が独自の歩みを始めています。この記事では、この時期に起こった主要な出来事を年ごとに整理して解説します。

1797年:第一次対仏大同盟の終結

  • 2月2日:ナポレオン率いるフランス軍が、教皇領の要衝アンコーナを占領しました。
  • 2月14日:セント・ヴィンセント岬の海戦で、若きホレーショ・ネルソン提督が活躍し、イギリス艦隊がスペイン艦隊を撃破しました。
  • 10月17日:カンポ・フォルミオ条約が調印され、第一次対仏大同盟戦争が終結。オーストリアはフランスによる北イタリア支配を事実上承認しました。
  • 10月11日:キャンパーダウンの海戦でイギリス海軍がオランダ艦隊を破り、制海権を強化しました。

1798年:エジプト遠征とローマ共和国の誕生

  • 2月15日:フランス軍の後押しによりローマ共和国が宣言され、教皇ピウス6世は追放されました。
  • 5月19日:ナポレオンが大艦隊を率いてエジプト遠征に出発。東方への進出という壮大な構想が始動しました。
  • 7月21日:「ピラミッドの戦い」でナポレオンがマムルーク軍を圧倒し、カイロを掌握しました。
  • 8月1日:ナイルの海戦(アブキール湾の海戦)でネルソン提督がフランス艦隊を壊滅させ、エジプトのフランス軍は補給路を断たれました。
  • 12月末:イギリスとロシアを中心に第二次対仏大同盟が結成され、再び戦火が拡大しました。

1799年:ブリュメールのクーデター

  • 3月:オーストリアの宣戦により、第二次対仏大同盟戦争が本格化しました。
  • 8月27日:イギリス・ロシア連合軍がオランダ(バタヴィア共和国)に上陸しました。
  • 9月25日〜26日:チューリッヒの戦いでフランスのマッセナ将軍がロシア軍を破り、連合軍の攻勢を退けました。
  • 10月9日:エジプト遠征の実態を部下に委ねたナポレオンが、単身フランスへ帰還しました。
  • 11月9日〜10日:「ブリュメール18日のクーデター」。ナポレオンは総裁政府を打倒し、第一統領として統領政府を樹立。ここに彼の実権掌握が確定しました。

1800年:マレンゴとホーエンリンデンの勝利

  • 5月:ナポレオンがアルプス山脈を越える大胆な行軍を行い、北イタリアのオーストリア軍を奇襲しました。
  • 6月14日:マレンゴの戦いでナポレオンがオーストリア軍を逆転勝利。北イタリアの支配を取り戻しました。
  • 9月30日:米仏間でモルトフォンテーヌ条約(1800年の協定)が締結され、両国の海上紛争である「擬似戦争」が終結しました。
  • 12月3日:ホーエンリンデンの戦いでモロー将軍率いるフランス軍がオーストリア軍を決定的に打ち破りました。

1801年:新体制の幕開け

  • 1月1日:合同法(1707年以来の再編)が発効し、グレートブリテン王国とアイルランド王国が統合、「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」が成立しました。
  • 2月9日:リュネヴィル条約が調印され、オーストリアが対仏戦争から離脱。神聖ローマ帝国の体制は大きく揺らぎました。
  • 3月4日:トーマス・ジェファーソンが第3代アメリカ大統領に就任。1800年の大統領選挙を制し、新しい世紀のアメリカ政治を牽引していきます。
  • 3月下旬:ロシア皇帝パーヴェル1世が暗殺され、彼が主導した武装中立同盟は崩壊。ヨーロッパの外交構図が再び変化しました。
  • その後:翌1802年3月にはアミアンの和約が結ばれ、フランスとイギリスの間に一時的な平和が訪れました。

まとめ

この5年間は、革命の混乱から強力な指導者による新秩序への移行期でした。ナポレオンの軍事的才能と政治的手腕が結実し、ヨーロッパ全体が彼を中心とした秩序へと再編されていきます。同時に、イギリスの海洋覇権やアメリカの独立国家としての成長も進み、近代世界の骨格が形づくられた時代といえるでしょう。