イギリスが第一次世界大戦への参戦を決めたのは、当時の首相ハーバート・アスキス(Herbert Asquith)率いる自由党政権でした。しかし、その決断は一夜にして下されたものではなく、国際危機の深刻化とともに段階的に迫られたものでした。
開戦への道――サラエボ事件と中立政策
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公がサラエボで暗殺されると、ヨーロッパ全土の情勢は一気に緊迫しました。これに対しイギリス政府は当初、大陸の紛争に深入りしないよう慎重な中立政策を維持していました。
決め手となったドイツのベルギー侵攻
しかし、危機が深まるにつれて、アスキス首相とその内閣は次第に紛争へと引き込まれていきます。転機となったのは1914年8月4日、ドイツが中立国ベルギーに侵攻したことでした。イギリスは1839年のロンドン条約によってベルギーの中立を保障しており、この侵攻は参戦の正当な根拠となりました。
閣議を経た宣戦布告の決断
アスキス首相は閣議での協議を重ねた末、ドイツおよびその同盟国に対する宣戦を決断しました。この過程では、外相エドワード・グレイ卿が外交面で重要な役割を果たしたとされています。一方で国内には反対意見も根強く、一部の閣僚は辞任を余儀なくされるなど、決断は容易なものではありませんでした。
こうしてイギリスは1914年8月4日、ドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦へと参戦していったのです。