ヨーロッパの歴史

ワーテルローでのナポレオン敗北後、欧州列強が集結した都市は?「ウィーン会議」を徹底解説

答えは、オーストリアの首都ウィーンです。

ナポレオン・ボナパルトがワーテルローの戦いで敗北した後、ヨーロッパの大国たちはオーストリアのウィーンに集まりました。ここで開かれたのが、歴史に名高い「ウィーン会議」です。この会議は、戦乱で荒廃したヨーロッパの復興と新秩序の構築を目的とした、19世紀最大級の国際会議となりました。

ウィーン会議とはどのような会議だったのか

ウィーン会議は、1814年9月から1815年6月にかけて開催された大規模な国際会議です。ナポレオン戦争によって大きく変動したヨーロッパの政治地図を再編成し、長期的な平和と勢力均衡(バランス・オブ・パワー)を確立することを目指して招集されました。

なお、会議自体は1814年9月にすでに始まっており、ワーテルローの戦い(1815年6月18日)の頃も継続されていました。ナポレオンがエルバ島から脱走して権力を奪還した「百日天下」の期間中も協議は続けられ、彼の完全な敗北を受けて最終的な取り決めが確定したのです。

会議に参加した主要国

会議には、当時のヨーロッパにおける主要国の代表者が勢揃いしました。主な参加国は以下の通りです。

  • オーストリア(議長国として主導)
  • フランス
  • イギリス(グレートブリテン)
  • プロイセン
  • ロシア
  • スペイン

特にオーストリア外相メッテルニヒ、イギリス外相キャッスルレー、ロシア皇帝アレクサンドル1世らが中心人物として交渉を主導し、戦後秩序の枠組みを作り上げました。

ウィーン会議の成果と歴史的意義

ウィーン会議では、フランスの国境をおおむね戦前の状態へ戻すことや、領土再配分による各国間の勢力均衡の確立などが決定されました。こうして生まれた国際秩序は「ウィーン体制」と呼ばれ、クリミア戦争が勃発するまでのおよそ40年間、ヨーロッパに大きな戦争のない比較的安定した時代をもたらしました。

個々の利害対立や不満はあったものの、ウィーン会議は「話し合いによって国際秩序を構築する」という外交のあり方を示した先駆的な試みとして、今日でも高く評価されています。