ポーランド侵攻と各国の反応
1939年9月1日、ナチス・ドイツによるポーランドへの侵攻は、第二次世界大戦の幕開けとなりました。この侵略に対して、世界の主要国はそれぞれ異なる立場から反応しました。ここでは、イギリス・フランス、アメリカ合衆国、そしてソビエト連邦の動きを詳しく見ていきます。
イギリスとフランスの対応
イギリスとフランスは、ポーランドとの相互援助条約に基づき、最も強硬な対応を行いました。
- 1939年9月3日の対独宣戦布告: 両国はポーランドとの相互援助条約に基づき、ドイツに宣戦布告しました。これにより第二次世界大戦が正式に勃発しました。
- 「奇妙な戦争」(Phoney War)の開始: 宣戦布告後も、独仏国境沿いでは大規模な軍事行動がほとんど行われない、特異な膠着状態が続きました。
- イギリス遠征軍(BEF)の派遣: イギリスはドイツの侵攻に備えてフランスを防衛するため、イギリス遠征軍(BEF)をフランスへ派遣しました。
- ドイツの海上封鎖: ドイツが必需品を輸入できなくなるよう、経済封鎖を実施しました。
アメリカ合衆国の対応
当時のアメリカは孤立主義的な姿勢を保ちながらも、国際情勢の悪化に伴い、次第に介入へと傾いていきました。
- ドイツのポーランド侵攻を非難: アメリカ政府はドイツの侵略行為を公式に非難しました。
- 経済制裁の実施: ドイツに対して経済制裁を課しました。
- 軍事費の増額: 欧州情勢の緊迫化を受け、軍事支出を拡大しました。
- 1939年中立法の可決: 従来の厳格な武器禁輸政策を見直し、「現金で購入し自国船で運搬する(cash and carry)」場合に限り交戦国への武器・弾薬の販売を認めるなど、中立政策の枠組みを再構築しました。
- 英仏への道義的支援: 軍事介入こそ避けたものの、イギリスとフランスを道義的に支持しました。
- ユダヤ人難民への亡命の受け入れ: 欧州から逃れてきたユダヤ人難民に亡命の機会を提供しました。
ソビエト連邦の対応
ソ連は、ドイツとの密約に基づき、むしろ侵略側として動いた点で特異な存在でした。
- 独ソ不可侵条約の締結(1939年8月23日): モロトフ=リッベントロップ協定とも呼ばれるこの条約には、ポーランドを両国で分割する秘密議定書が含まれており、ドイツによるポーランド侵攻への道を開くものとなりました。
- 東部からのポーランド侵攻(1939年9月17日): ソ連軍は秘密議定書に基づき、東からポーランドへ侵攻しました。
- 東ポーランドの占領と併合: 占領したポーランド東部地域をソ連領に編入しました。
- 戦争初期における独ソ協力: 戦争の初期段階において、ソ連はドイツと事実上の協力関係にありました。
まとめ
ポーランド侵攻に対する各国の対応は、その後の世界大戦の展開を大きく左右することになりました。英仏は直ちに参戦したものの本格的な攻勢には至らず、アメリカは中立を維持しながらも次第に連合国側へ接近し、一方のソ連はドイツと結託してポーランド分割に関与しました。こうした複雑な国際関係が、やがて戦争全体の構図を形作っていったのです。