ヨーロッパの歴史

ドイツはプロイセンの一部だったのか?実は逆だった歴史的事実を解説

いいえ、実はその逆です。プロイセンこそがドイツの一部でした。この点はしばしば混同されやすいのですが、歴史的事実としては、プロイセンはドイツを構成する国家(邦)の一つでした。

プロイセンとはどんな国だったのか

プロイセンは17世紀から20世紀にかけて存在した国家です。もともとはバルト海沿岸のプロシア地方にルーツを持ち、ホーエンツォレルン家の統治のもとで勢力を拡大しました。1701年にはプロイセン王国として成立し、18世紀のフリードリヒ大王の時代にはヨーロッパ列強の一角へと成長を遂げています。

ドイツ帝国におけるプロイセンの地位

1871年から1918年まで存在したドイツ帝国において、プロイセンは最大かつ中核的な構成国でした。ドイツ帝国は複数の邦からなる連邦制国家であり、その領土の大部分をプロイセンが占めていました。さらに、ドイツ皇帝はプロイセン国王が兼ねていたため、プロイセンは事実上、ドイツ統一を主導した立場にあったのです。

プロイセンの終焉

第一次世界大戦後、帝政は崩壊し、プロイセンはヴァイマル共和政下の自由州へと移行しました。しかし、第二次世界大戦でナチス・ドイツが敗北すると、連合国はプロイセンを軍国主義の象徴とみなし、1947年に正式な解散を宣言します。こうして長い歴史を持つプロイセンは、その幕を閉じることとなりました。