古代の歴史

三つの傷を負ったT-34の「駆逐艦」――フランドル出身の戦う軍曹、レミ・シュライネンの死闘

三つの傷を負ったT-34の「駆逐艦」――フランドル出身の戦う軍曹、レミ・シュライネンの死闘

ジトーミル前線に立つフランドル義勇兵

第二次世界大戦中、フランドル(ベルギー北部)出身の義勇兵レミ・シュライネン(Remy Schrijnen)軍曹は、武装親衛隊のフランドル人部隊に所属し、対戦車砲中隊第5中隊で分隊長を務めていた。1943年の大晦日、彼の部隊は「ダス・ライヒ」装甲擲弾兵師団の指揮下に入り、ジトーミル周辺に展開。ヴァトゥーチン元帥率いるソ連第1ウクライナ正面軍と対峙することになった。この頃、フランドル部隊は「ランゲマルク」突撃旅団へと改称されていた。

迫り来るT-34の大群

「レミ、戦車の音がするぞ」と班長が告げた。「T-34だな、ヤン」。シュライネンは対戦車砲の照準眼鏡を覗き込みながら答えた。まもなく、最初の敵戦車が動き出すのが見えた。

「来ますよ、大尉!」と彼は中隊長クノール大尉に叫んだ。大尉は双眼鏡を上げ、直ちに「警報!全員配置につけ!」と怒鳴り声を上げた。

シュライネンは敵戦車を数え始めた。しかし25両を数えたところで、数えるのをやめた。あまりにも多かったのだ。T-34の群れは、フランドル部隊の陣地から約1,800メートルの地点まで高速で迫りつつあった。中隊にはちょうど新型の7.5cm対戦車砲PaK 40が配備されたばかりで、誰もがその実力を確かめたがっていた。

「さあレミ、これからこの砲がどれほど優秀か分かるぞ」とヤンは言った。

初撃破、そして容赦ない反撃

シュライネンは照準器越しに、迫る敵戦車を200メートルまで引きつけた。ソ連戦車は尾根の縁を越えたところで停止し、砲撃を開始した。

ソ連戦車の砲弾は辛うじてシュライネンの砲を外れた。直ちに反撃である。PaK 40の徹甲弾はT-34の砲塔と車体の間に見事に命中し、砲塔は宙に舞い上がってから地面へと叩きつけられた。

しかし勝利に浸っている暇はなかった。残りのT-34が一斉に射撃を始めたのだ。2発目の砲弾は外れたものの、最後の瞬間に移動した敵戦車からの反撃砲火により、シュライネンの砲はほぼ破壊されかけた。

負傷しながらも戦い続けて

ソ連軍の砲弾の破片がヘルメットをかすめ、シュライネンは死を免れるため地面に張り付いた。さらに別の砲弾がすぐ近くで炸裂する。右肩に鋭い痛みが走ったが、腕はまだ動いた。彼は再び右目を照準器に当てて発砲を続けた。その間に、砲の要員の一人が致命傷を負った。ソ連戦車は接近を続け、主砲と機関銃で絶え間なく射撃を浴びせてきた。

シュライネンは精密に狙いを定めた。彼の砲弾は、土の盛り上がりを登ろうとしていたT-34の「腹部」に命中し、戦車を吹き飛ばした。炎上する戦車から、生存していた乗員たちが必死に脱出しようともがいていた。

白兵戦、そして三度目の撃破

直ちに4両のT-34がシュライネンの砲に向き直った。ソ連軍の砲弾が周囲で次々と炸裂し、もう一人の砲員が重傷を負い、シュライネン自身も二度目の負傷をした。すると突然、ソ連歩兵が接近してくるのが見えた。シュライネンは短機関銃をつかむと、襲いかかる敵に弾倉いっぱいの弾丸を浴びせ、その多くをなぎ倒した。

しかし、ソ連兵の一人が倒れ込む前に、気管から数センチの位置にある喉へ銃剣を突き立てたのだ。それでも軍曹は応急処置を受けると、ただちに任務へ復帰し、三両目のT-34を撃破してみせた。

陣地前に横たわる19両の残骸

ソ連軍の攻撃がようやく撃退されたとき、フランドル部隊の陣地前には、最終的に19両の燃えさかるT-34の残骸が横たわっていた。それは小規模な、ほんの一局所的な戦闘に過ぎなかったが、東部戦線における装甲戦の過酷さを今に伝える一断面なのである。