古代の歴史

第二次世界大戦中、アメリカ軍とカナダ軍が誤って互いに撃ち合った「キスカ島の戦い」

かつて当サイトでは、アリューシャン列島の島の一つでアメリカ・カナダ両軍が日本軍と対峙した「アッツ島の戦い」についてお伝えした。一見さほど重要に思えないこの島は、実は極めて大きな戦略的価値を持っていた。日本軍にとってここは、航空機でアメリカ本土を攻撃できる好適な基地であるだけでなく、何より太平洋の中央に浮かぶ「不沈空母」ミッドウェー諸島を攻略するために、アメリカ海軍を本本隊から引き離す陽動作戦の拠点として必要だったからだ。

日本軍の進出と米軍の反攻

こうして1942年6月3日、空母「龍驤」「隼鷹」、重巡洋艦「摩耶」「高雄」、戦艦「伊勢」「扶桑」「山城」、軽巡洋艦「阿武隈」からなる艦隊が、アリューシャン列島を構成する300余りの島々の中で最重要とされる目標への砲撃を2日間にわたって実施し、その後キスカ島に上陸、翌日にはアッツ島を占領した。抵抗はほとんどなかった。アメリカがこれらの島に重要性を見出していなかったからである。しかし状況は変わり、連合国側はなんとしても奪還しなければならなくなった。

第二次世界大戦中、アメリカ軍とカナダ軍が誤って互いに撃ち合った「キスカ島の戦い」

同年8月、アメリカ軍の爆弾がアダック島の日本軍陣地に落下し始めた。数ヶ月後には、マクモリス少将がコマンドルスキー諸島の海戦で細萱戊子郎中将を破り、日本軍の補給路は完全に断たれた。そして1943年5月11日、上陸作戦「ランドクラブ作戦」が開始される。過酷な環境条件の中で徐々に足場を広げた攻撃側に対し、援軍の見込みも弾薬も尽きた守備隊は最期の突撃に出た。ほぼ全員が戦死し、山崎保代大佐もその一人であった。

アッツ島奪還、そしてキスカ島の謎の静寂

アッツ島は奪還されたが、キスカ島がまだ残っていた。同島は約1年前、大野竹二大尉率いる約500名の部隊によって、わずか十数名の兵士が守る気象観測所があるだけであったため、ごく容易に占領された島だった。

興味深い逸話もある。指揮官のウィリアム・C・ハウスは脱走に成功し、過酷な環境の中で約2ヶ月間潜伏し続けたのだ。植物や虫だけを食べて飢えをしのぎ、北極圏の寒さに耐えかねてついに降伏したとき、彼の体重はわずか36kgまで落ちていたという。

第二次世界大戦中、アメリカ軍とカナダ軍が誤って互いに撃ち合った「キスカ島の戦い」

ところが形勢は完全に逆転していた。アッツ島の陥落を受け、樋口季一郎中将の指揮下にあったキスカ島の日本軍は撤退を決意する。加えてミッドウェー攻略は完全に失敗し、作戦の立案者である山本五十六大将は搭乗機の撃墜により命を落としていた。こうして1943年7月28日、最後の9名が濃霧に紛れて島を去り、キスカ島は完全な無人島と化した。敵はこの撤退に一切気づかなかったのである。

実際、偵察任務で同島上空を飛行していたB-24「リベレーター」は日本軍の艦船を発見したものの、それが撤収作業中であるとは識別できなかった。そのため、アメリカ第7歩兵師団の各部隊とカナダ第6師団第13歩兵旅団からなる奪還部隊は、強固な抵抗を想定せざるを得なかった。

第二次世界大戦中、アメリカ軍とカナダ軍が誤って互いに撃ち合った「キスカ島の戦い」

無人島への2週間の爆撃

こうしてキスカ島奪還作戦「コテージ作戦」は、早くも不条理な幕開けを迎える。完全に空っぽの島に対して2週間もの爆撃が繰り返されながら、それまで活発だった対空砲火がなぜ沈黙しているのか、誰もその意味を適切に読み取れなかったのだ。

濃霧の中の悲劇――味方同士の誤射

事態は上陸段階でさらに悪化した。8月15日、島の海岸の正反対の2地点から上陸が実施され、それぞれの地点にアメリカ軍とカナダ軍が割り当てられた。当然ながら敵の抵抗は皆無だったが、今度は2日間続きとなる濃霧が発生し、作戦全体に深刻な混乱をもたらした。視界の利かない悪天候の中、アメリカ軍とカナダ軍は互いを敵兵と誤認して発砲し合う事態に陥ったのである。結果、アメリカ軍側で28名、カナダ軍側で4名が死亡し、負傷者も数多く出た。

第二次世界大戦中、アメリカ軍とカナダ軍が誤って互いに撃ち合った「キスカ島の戦い」

最終的にコテージ作戦の総損害は313名に達し、うち92名が命を落とした。地上の敵はおらず、いたのは飢えた犬たちだけだった(その中には、以前の北米守備隊のマスコット犬で、日本軍が終始大切に世話をしていた「エクスプロージョン」の姿もあった)。また、撤退した日本軍が残した地雷やブービートラップも被害を押し上げる一因となった。一方、海上では事情がまったく異なっていた。

自らの魚雷で沈んだ潜水艦

キスカ島周辺で交わされたアメリカ海軍と日本帝国海軍のいくつかの戦闘は、いずれも前者が大きな苦労なく勝利を収めている。唯一の災難といえば、1942年夏に輸送船へ発射した魚雷が不運にも円形の軌道を描いて自艦に戻り、撃沈された潜水艦「USSグラニオン」の喪失だろう。

第二次世界大戦中、アメリカ軍とカナダ軍が誤って互いに撃ち合った「キスカ島の戦い」

艦尾を失った駆逐艦アブナー・リード

しかし本当の悲劇は「USSアブナー・リード」の艦上で起きた。フレッチャー級駆逐艦である同艦は、アッツ島への艦砲射撃に参加し、その後キスカ島でも同様の任務に就いていた。8月17日夜、哨戒中に強烈な爆発が発生。恐らく機雷との接触によるもので、艦尾が吹き飛ばされて沈没の危機に陥り、70名が死亡、47名が行方不明となった。同艦は後に浮揚され、修理のためワシントン州へ回送されたが、それでも戦いの時は残っていた。翌年にはニューギニアでの小規模な戦闘に参加し、さらにはレイテ沖海戦にも関与したものの、そこで神風特攻の攻撃を受けてついに沈んだのである。

一発も撃たずに敵に損害を与えた日本軍

これが、日本軍が一兵も投入せず、一発の弾丸も発射することなく敵に損害を与え続けた、奇妙な戦いの歴史である。半ば冗談、半ば本気で言えば、クレマンソーの言葉どおり、「戦争はあまりに重大な問題ゆえに、軍人だけに任せておくべきものではない」のだ。