古代の歴史

ダムバスターズ作戦:1943年、連合軍がルール渓谷のダムを破壊した夜

産業の心臓部を狙った大胆な夜間爆撃

1943年5月16日から17日にかけての夜、イギリス空軍(RAF)の一個中隊は、ドイツ領内深く切り込む大胆な任務に挑んだ。その標的は、ドイツ産業の心臓部であるルール渓谷に位置する2つのダムだった。

この攻撃が引き起こした洪水は、水力発電所2カ所と多数の工場・鉱山を破壊し、ドイツの鉄鋼・石炭生産に深刻な打撃を与えた。この作戦は「チャスタイズ(懲罰)作戦」と呼ばれた。

ヨーロッパ最大のダム、メーネダム

標的の一つ、ノルトライン=ヴェストファーレン州にあるメーネダムは、当時ヨーロッパ最大のダムであった。洪水調節と周辺広域への安定した水供給を目的に建設され、水力発電にも利用されていた。

ダムバスターズ作戦:1943年、連合軍がルール渓谷のダムを破壊した夜

イギリス軍は、ルール渓谷の工場や産業がこれらのダムが生み出すエネルギーに大きく依存していたことから、ダムの破壊はドイツの戦争生産に壊滅的な混乱をもたらすと考えた。

一方、ドイツ側も貯水池やダムが防衛上の弱点であることを十分に認識しており、対空砲による厳重な防御に加え、水面に投下されたあらゆる投射物を捕捉するための魚雷防止網を張り巡らせていた。

バーンズ・ウォリスの「跳躍爆弾」

当初イギリス軍は上空からの爆撃を検討していたが、ダム堤体を決壊させるには途方もなく大型の爆弾が必要となる。しかし、より小型の炸薬でも、水中で堤体に密着させて起爆すれば同じ効果が得られる。課題は、どうやって魚雷網を突破するかだった。

この難題を解決したのが、技術者バーンズ・ウォリスが考案した「跳躍爆弾(バウンシングボム)」である。ウォリスは、水深圧作動信管を備えた円筒形の4トン爆弾を設計した。これは超低空を飛行する航空機から逆回転を与えられて投下され、湖面を跳ねながら魚雷網を回避し、ダム堤体に衝突して沈み、堤体の基部で爆発することで最大限の損害を与える仕組みだった。

ダムバスターズ作戦:1943年、連合軍がルール渓谷のダムを破壊した夜

精鋭・第617中隊の結成

この任務のために新たに編成されたのが、後に「ダムバスターズ」と呼ばれることになる第617中隊である。指揮を執ったのは、170回を超える爆撃・夜間任務を経験した当時24歳のガイ・ギブソン中佐だ。

隊員はイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ出身の搭乗員で構成され、いずれも豊富な実戦経験を積んだ精鋭揃いだった。

徹底した試験と驚くべき創意工夫

イギリス空軍は国内各地で大規模な試験を実施した。その結果、「アップキープ」のコードネームを持つドラム缶型の爆弾は、高度20メートル、時速370キロメートル、毎分500回転の逆回転を与えて投下しなければならないことが判明した。

投下は極めて正確でなければならず、わずかに狂えば跳躍爆弾は機能しない。現代的な技術が存在しない時代において、RAFはあらゆる技術的課題に独創的な解決策で応えた。正確な高度を測定するため、機首下面と胴体下面に2基の照明灯を取り付け、正しい高度では2本の光線が水面の一点で交差するようにした。また、投下の瞬間を知らせるために、ロープとスパイクを使った特殊な装置が製作された。

1943年5月16日の夜

1943年5月16日の夜、ランカスター爆撃機19機、搭乗員133名が3つの波に分かれて離陸し、メーネダム、エーダーダム、ゾルペダムという3つの目標へ向かった。編隊はドイツの航空基地や既知の対空砲陣地を巧みに回避しながら飛行し、ドイツ領内に入ってから南へ進路を変え、メーネ川を目指した。

ダムバスターズ作戦:1943年、連合軍がルール渓谷のダムを破壊した夜

レーダー探知を避けるため、爆撃機はわずか30メートルの高度で飛行した。あるとき、ジョージ・チャーマーズ軍曹は、自機が木々の梢よりも低い高さで、森林防火帯に沿って目標へ向かっていることに驚かされたという。

決壊まで5回の攻撃

メーネダムが決壊するまでには5回の攻撃を要した。攻撃によりダムには直径約76メートル(250フィート)の巨大な穴が開き、洪水が渓谷になだれ込んで、100棟を超える工場と約1,000戸の住宅、さらには数十の道路・鉄道・橋梁を押し流した。小さな町ネハイム=ヒュステンも被災し、800人以上の犠牲者が出た。

エーダーダムは対空砲による防御こそなかったものの、地形が険しく、攻撃班が適切な進入角度を掴むまでに何度も襲撃を繰り返さなければならなかった。ダムは幅70メートルの穴を開けられ、発生した洪水は下流30キロメートルにわたって渓谷を水没させた。一方、ゾルペダムへの攻撃は失敗に終わった。

大きな犠牲と限られた成果

RAFの搭乗員たちも甚大な損失を被った。作戦に参加した19機のうち8機が撃墜され、搭乗員のほぼ半数が命を落としたのである。

ダムバスターズ作戦:1943年、連合軍がルール渓谷のダムを破壊した夜

民間人の死者は1,500人を超えると推定されている。その多くは、メーネダム下流にあった収容所に抑留されていたロシア人捕虜だった。数千頭の牛、豚、馬に加え、山羊や羊などの家畜も人々とともに命を落とした。

この攻撃はドイツの石炭・鉄鋼生産に目覚ましい打撃を与えたが、戦争の趨勢を変えるほどの影響力は持たなかった。ルール地方の鉄鋼生産は4分の1に落ち込み、石炭生産は40万トン減少した。主な原因は、爆弾が2つの水力発電所を破壊し、地域一帯が2週間にわたり暗闇に包まれたことだった。

しかし、両ダムは数ヶ月以内に修復され、復旧作業を妨げる追撃爆撃も行われなかったため、チャスタイズ作戦は、イギリス陸軍省が期待したような長期的な危機を引き起こすことはできなかったのである。


この記事はAmusing Planetに掲載されたものです。許可を得て翻訳しています。