古代の歴史

ベルサイユ宮殿の歴史と見どころ|太陽王ルイ14世が築いた絶対王政の象徴

ベルサイユ宮殿(仏:Château de Versailles)は、太陽王と呼ばれたルイ14世の治世に建設が始まり、フランス絶対王政期における君主の権力と富を象徴する壮麗な宮殿となりました。王と貴族たちの贅沢な生活様式を今に伝える偉大なアイコンであり、1682年から1789年までフランス国王の居城として機能しました。

ベルサイユ宮殿の歴史と見どころ|太陽王ルイ14世が築いた絶対王政の象徴

ベルサイユ宮殿の建設

ベルサイユ宮殿の建設は、絶対王政期で最も強大な権力を誇ったフランス国王ルイ14世の命令によって始まったとされています。フランス語では「シャトー・ド・ヴェルサイユ」と呼ばれ、直訳すると「ヴェルサイユの城」を意味します。ただし、ルネサンス期のフランスでは「シャトー(château)」は田舎に建つ宮殿を指す言葉であり、都市部の宮殿には「パレ(palais)」という言葉が使われていました。

ベルサイユ宮殿の起源は、1610年から1643年に在位したルイ13世が使用していた田舎の狩猟小屋でした。すべては、ルイ13世がパリ郊外のヴェルサイユ地方の森へ狩りに出かけたことから始まります。やがて彼はこの土地を気に入り、1623年に小さな田舎家の建設を命じました。

その後まもなく、1631年にルイ13世は田舎家の改築を指示します。工事は同年に着工され、1634年に完成しました。この改修によって現在の宮殿の基礎が形作られ、単なる田舎家だった建物は小さな宮殿へと生まれ変わったのです。

ベルサイユ宮殿の歴史が大きく動いたのは、ルイ14世の即位後のことです。ルイ14世は1643年から1715年までフランスを統治しました。「太陽王」と自称した彼は絶対君主の権力の化身であり、極めて豪華な生活様式をふんだんに披露しました。その象徴こそがベルサイユ宮殿の建設なのです。

ルイ14世時代のベルサイユ宮殿

ベルサイユ宮殿の歴史と見どころ|太陽王ルイ14世が築いた絶対王政の象徴
ルイ14世は1643年から1715年までフランス国王を務め、ベルサイユ宮殿の建設を命じました。

ルイ14世は、宰相マザラン枢機卿の死後まもない1661年、ベルサイユ宮殿の改築を決意します。宮殿をより大きく、より美しくするため、建築家ルイ・ル・ヴォーを雇って拡張計画の設計を依頼しました。ルイ14世の治世中、ヴェルサイユは巨大で豪華な宮殿へと変貌を遂げ、フランス行政の中心地であると同時に、貴族や宮廷の宴の場となりました。

拡張工事はルイ14世の治世全体を通じて行われ、その死後も続けられました。この時期に建設された主な施設としては、鏡の回廊、グラン・トリアノン、宮殿の北翼と南翼、王室礼拝堂などが挙げられます。宮殿本体に加えて、館の背後には広大な庭園が広がっています。

庭園の設計にはアンドレ・ル・ノートルが起用されました。この造営は数十年に及び、ルイ16世の治世になってようやく完成しました。特に有名なのがオランジュリー(柑橘園)と大運河です。

1682年、ルイ14世はベルサイユ宮殿をフランス宮廷および政府の所在地と定める勅令を出しました。これにより、貴族階級と行政機関はパリを離れ、ヴェルサイユへ移住します。ベルサイユ宮殿は1789年、フランス革命の際にルイ16世と王妃マリー・アントワネットがパリへの移住を余儀なくされるまで、フランス王冠の所在地であり続けました。

歴史の中のベルサイユ宮殿

ベルサイユ宮殿の歴史と見どころ|太陽王ルイ14世が築いた絶対王政の象徴
鏡の回廊。普仏戦争と第一次世界大戦の講和条約が調印された場所です。

1833年、ベルサイユ宮殿はルイ・フィリップ1世の命令により、「フランス史のあらゆる栄光」に捧げられた博物館へと生まれ変わりました。博物館として開館して以降、中世から19世紀に至るフランスの歴史に関わる品々が展示される場となりました。それでもなお、フランス政府の重要な行事の会場としても利用され続けています。

1871年初頭のパリ・コミューンの際、ベルサイユ宮殿はパリから逃れてきたフランスの議員たちを受け入れました。数か月後にはフランスとプロイセンの代表団が集まり、鏡の回廊において普仏戦争を終結させる条約が調印されました。さらに20世紀には、第一次世界大戦の終結後、鏡の回廊で外交代表団によりヴェルサイユ条約が調印されています。

現在、ベルサイユ宮殿は博物館として公開されており、フランス国内で最も多くの人が訪れる場所の一つです。毎年数百万人の観光客が訪れます。1999年には激しい嵐が宮殿を直撃し、甚大な被害をもたらしました。この嵐で約1万本の樹木が損傷し、フランス政府に2億5,000万フランの損失が発生しました。

宮殿は週6日開館しており、休館日は月曜日のみです。庭園と公園は毎日開放されています。宮殿の見学は有料ですが、一定の条件を満たせば無料入場を申請することも可能です。

ベルサイユ宮殿の庭園

ベルサイユ宮殿の歴史と見どころ|太陽王ルイ14世が築いた絶対王政の象徴
大運河とその奥に広がるベルサイユ宮殿。

巨大な宮殿本体に加えて、ヴェルサイユは外郭部に造営された美しく広大な庭園でもよく知られています。庭園の一部は鏡の回廊から眺めることができ、その建設はルイ14世によって命じられ、宮殿そのものと同じくらい重要視されていました。

ルイ14世はアンドレ・ル・ノートルを庭園造営の責任者に任命しました。その開発には多大な労力が必要で、地面を平らにならすために大量の土を運び出さなければなりませんでした。庭園に加えて何百もの噴水が建設され、フランス各地から樹木がヴェルサイユへ運ばれました。

ヴェルサイユの庭園群全体には、花壇、噴水、林、運河が配され、水の花壇、オランジュリー、竜の噴水、大運河、三つの泉の林などが代表的な見どころです。

ベルサイユ宮殿の豆知識

ベルサイユ宮殿は、宮殿本体も庭園も非常に巨大です。ここで、この宮殿に関する興味深い情報をご紹介します。

  • 庭園を含む宮殿複合施設全体の面積は約67,000平方メートルです。
  • フランスの歴史に関する約60,000点の収蔵品を保有しています。
  • 約700の部屋、2,000の窓、67の階段、1,000以上の暖炉を備えています。

建物の構造以外にも、次のような豆知識があります。

  • 鏡の回廊は1678年から1684年にかけて建設され、合計357枚の鏡が飾られています。
  • ベルサイユ宮殿では二つの戦争の講和条約が調印されました。普仏戦争(1871年)と第一次世界大戦(1919年)です。
  • 1783年にはパリ条約も調印され、イギリスはアメリカ合衆国の独立を承認しました。
  • フランス革命の際、ベルサイユ宮殿は襲撃され、ルイ16世と王妃マリー・アントワネットはパリへの移住を余儀なくされました。
  • 戦闘の回廊には、クローヴィスからナポレオン・ボナパルトに至るフランスの歴史を描いた33点の絵画があります。
  • 戦闘の回廊には、戦死したフランスの名将たちの胸像80体も飾られています。
  • 1999年、時速200kmを超える暴風を伴う大規模な嵐が宮殿を襲い、約20万本ある樹木のうち1万本が損傷しました。

※画像クレジット:Mister_Knight、Bigmagic/Shutterstock