古代の歴史

ホロドモールとは?スターリン政権下のウクライナで起きた大飢饉とジェノサイドの実態

ホロドモール――ウクライナ史上最大の悲劇

ホロドモール(Holodomor)は、1931年から1933年にかけて、ソ連のスターリンによる経済政策が引き金となり、ウクライナで数百万人が飢えによって命を落とした悲劇である。これは単なる自然災害による飢饉ではなく、国家権力が意図的にもたらした人災であり、今日ではウクライナ人に対するジェノサイド(民族大量虐殺)として位置づけられている。

ホロドモールとは?スターリン政権下のウクライナで起きた大飢饉とジェノサイドの実態

執筆:クラウディオ・フェルナンデス氏

「ホロドモール」という言葉の意味

「ホロドモール」はウクライナ語で「飢えさせること」「飢餓」を意味する言葉である。この言葉は、1931年から1933年の間にウクライナで起きた、数百万人に及ぶ餓死者を出した一連の出来事を指すために使われるようになった。大まかに言えば、ホロドモールは、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)になぞらえられることも多く、スターリン率いるソ連共産主義政権がウクライナの住民に対して行った大量虐殺なのである。

スターリンの経済政策がもたらした惨劇

ホロドモールの惨禍は、1928年にスターリンが権力を握ってから実施し始めた経済政策にまで遡ることができる。その中核をなす施策の一つが、ソ連構成各国における穀物生産の管理だった。政府は「強制徴発」と呼ばれる官僚的な仕組みを導入し、農民に対して生産された余剰穀物の大部分を、極めて低い価格で国家に供出することを強制したのである。

さらにその後の数年間には、農業財産の強制的な集団化(コルホーズ化)政策が推し進められた。これにより、農地や農業経営は完全にソ連国家の管理下に置かれ、農民たちは自らの土地と生産物を奪われていった。

最も激しく抵抗したウクライナ

こうした措置に対して最も強く抵抗したのは、ソ連の中でもウクライナであった。ウクライナは独自の文化的自治と強固な民族的アイデンティティを持っており、それこそがロシア系ソヴィエト政権の思惑にとって耐え難い存在となっていた。強制集団化や穀物の強制徴発に反対して立ち上がったウクライナの農民たちの蜂起は、スターリンをして、他の地域よりもはるかに過酷な対策をウクライナに課させることとなったのである。

反ウクライナ・キャンペーンの展開

スターリンはそこから、ウクライナの姿勢がいかに共産主義の理想に「有害」であるかを示すための反ウクライナ・キャンペーンを展開し始めた。まず最初に行われたのは、ウクライナの知識人たちへの組織的な屈辱の付与である。彼らは恥辱的な裁判にかけられ、あらゆる形での嘲笑の対象となった。同時に、将来的に反ソ運動へと発展しうる組織の芽を摘み取る作業も進められた。そしてこれらの措置を経た後、スターリンは攻撃の矛先を農民層そのものへと向けたのである。

生きることを許されなかった農民たち

1929年以降、ウクライナの農民たちに対しては、ソ連中央政府向けの穀物生産ノルマが厳しく課されるようになった。その基準はあまりにも厳格で、農民たちがノルマを達成できるのは、自分たちの取り分を一切消費せず、文字通り飢えることによってのみ可能という有り様だった。すべての食料が国家の所有物となり、ジャガイモを食べただけで、あるいは食用にトウモロコシの穂を収穫しただけで、逮捕され強制労働刑に処せられる者さえ現れた。

街と野に死体が溢れた1931~1933年

こうしてウクライナでは徐々に死が広がっていった。1931年から1933年にかけて、死亡者の数はあまりにも膨大になり、死体は街路や野原に放置されるありさまであった。腐敗した死体の臭気が地域全体を覆いつくした。歴史学者トーマス・ウッズはこの事実について次のように述べている。

「1933年、スターリンは新たな生産・徴発目標を設定した。それは、飢餓による大量死の瀬戸際に立たされていたウクライナによって遂行されるべきものであった。同年3月に始まった惨状については、読者にあまりに生々しい描写を控えたい。だが死体は至る所に横たわり、死の強烈な臭いが空気中に充満していた。精神を病む例、さらには人食い(カニバリズム)の事例までもが、よく記録されている。」
(Woods, Thomas. 「ウクライナの飢饉――忘れ去られた国家による最大級の犯罪の一つ」 Instituto Mises Brasil)

犠牲者数の推計

この3年間の死者数は約500万人と推定されている。しかし、この悪質な経済政策がもたらした長期的な影響や、強制労働に送られそこで命を落としたウクライナ人たちまで含めて考慮すれば、その数は1,400万人を超える可能性もあるとされている。

*画像クレジット:Shutterstock および IgorGolovniov

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