古代の歴史

スパンディオス――カルタゴ傭兵戦争を率いた傭兵指導者の生涯と最期

スパンディオスとは

スパンディオス(Spendius、紀元前238年没)は、古代カルタゴで勃発した傭兵戦争(紀元前241年~同238年)において反乱傭兵軍を率いたカンパニア出身の指導者です。歴史家ポリュビオスの記録にも名を残す彼は、並外れた膂力と勇気を兼ね備えた人物として知られています。

ローマの逃亡奴隷から傭兵指導者へ

スパンディオスの出自は特異なものでした。もともと彼はローマ人の奴隷であり、主人のもとから逃亡してカルタゴ側の傭兵となった経歴を持ちます。逃亡奴隷がかつての主人に引き渡されれば、待っているのは確実な死でした。それゆえスパンディオスは、二度と奴隷の身分に戻るまいと、いかなる手段も辞さない覚悟を固めていたのです。

交渉決裂の中心人物

紀元前241年、第一次ポエニ戦争終結後の報酬をめぐるカルタゴ政府との交渉は決裂しますが、この破局の最大の責任者とされるのがスパンディオスでした。彼は妥協を望む声を退け、傭兵たちを反乱へと駆り立てていきます。

ウティカ包囲の挫折

紀元前240年、スパンディオスはガリア人傭兵の指導者アウタリトスとともにウティカの包囲戦を指揮しました。しかし、名将ハミルカル・バルカ率いるカルタゴ軍の反攻に遭って敗北し、包囲を解かざるを得なくなります。

ギスコ殺害と「容赦なき戦争」

さらにハミルカル、そしてカルタゴ側に付いたヌミディアの騎将ナルヴァスとの戦いでも敗れると、スパンディオスは傭兵たちが降伏してしまうことを恐れます。そこで彼は紀元前239年、捕虜として抑留されていたカルタゴの将軍ギスコを殺害するという暴挙に出ました。これによって戦争はもはや「贖いようのないもの」となり、以後、両陣営の間で捕虜への慈悲は一切なくなったのです。

ノコギリ峠での包囲、そして最期

その後もスパンディオスは田園地帯で略奪と襲撃を繰り返しましたが、まもなくアウタリトスとともに「ノコギリ」と呼ばれる峡谷でハミルカルの軍勢に包囲されます。飢えと疲弊に苦しむ部下たちをカルタゴ軍の報復から救おうと、彼は自ら投降して身を挺しましたが、その望みは叶いませんでした。

紀元前238年、スパンディオスは盟友マトスが守るチュニスの前に引き出され、城壁を目の前にして磔刑に処されました。反乱の火付け役となった男は、自らが煽った戦争の犠牲者として、その波乱に満ちた生涯を閉じたのです。