独裁者の任命 (217 年 7 月初旬)
(1)明確な計画がないうちに、突然新たな敗北が宣告される。執政官セルウィリウスから同僚に送られた四千人の騎兵と法務官カイウス・センテニウスは、ハンニバルに包囲されたトラシメヌスの戦いの知らせを聞いて向かっていたウンブリア州にいた。 (2) この知らせは、さまざまな方法で人々に影響を与えた。ある者は、より大きな苦痛に心を占めていたが、これまでの損失と比較して、騎兵たちの損失に光を見いだした。 (3) 他の人々は、出来事自体を判断しなかった。弱った身体は、たとえそれがわずかであっても、健康な身体よりも強い印象を感じるのと同じように、(4) 国家が病気で衰弱しているのだから、それが必要だったのだと彼らは考えた。 、それに降りかかった不幸を、その重要性によってではなく、国家が疲弊し、それを悪化させる可能性のあるものに耐えられなくなったことによって判断すること。 (5) そこで、独裁者の任命により、長い間要求も利用もされていなかった救済策が講じられることになった。しかし、独裁者を任命できるのは唯一であると思われる執政官が不在だった。ポエニ軍に占領されたイタリアを経由して使者や手紙を送るのは容易ではなかった、[そして独裁者の名前を国民が指名することはできなかった]、(6) これまでにやったことのないこと、国民独裁者クイントゥス・ファビウス・マクシムスを任命し、マルクス・ミニキウス・ルーファスを騎兵隊長に任命した。 (7) そして元老院はローマの城壁と塔を強化し、適切と思われる柱を処分し、橋を切断するよう彼らに指示した。都市とペナテスのために戦う必要があった。イタリアを守ることができる