古代の歴史

チュニジアの十字軍――1930年カルタゴ聖体大会が点火した独立運動の導火線

チュニジアの十字軍――1930年カルタゴ聖体大会が点火した独立運動の導火線

20世紀前半のフランスは、植民地帝国を自らの最大の誇りとして掲げていた。しかし、その華やかな祝祭の裏側で、被支配民たちの心に深い傷と反発が刻まれていたことを、歴史は静かに物語っている。

「壮麗な成功」とされたフランス帝国

当時のフランスの公式見解によれば、すっかり平定されたフランス帝国は、その欠点や不完全さにもかかわらず、正当な誇りに値する壮大な成功であったという。フランス人は決してその誇りを手放そうとはしなかった。

とりわけ強調されたのは、第一次世界大戦(1914~1918年)という長く、困難で、犠牲の大きい戦争において、海外領土が示した忠誠である。危機に瀕した宗主国へのもたらした重要な支援、そしてあの大きな試練の中で、植民地の若者たちが自らの血をフランス人の血と混ぜ合わせた武勇が称えられ、ラテン的な雄弁さが存分にふるわれた。

アルジェ征服100周年と聖アウグスティヌスの記憶

1930年、フランスは共和国大統領の臨席のもと、シディ・フェルシュ上陸とアルジェ占領から100周年を盛大に祝った。同時に回想されたのは、北アフリカにおける最初のキリスト教会の栄光である。その最も卓越した代表者こそ、チュニジアの門戸に位置するスーク・アハラス地方出身のベルベル人、聖アウグスティヌスであった。

カルタゴ聖体大会――「十字軍に扮したヨーロッパ人」

まさにその頃、カルタゴでは世界聖体大会が荘厳に執り行われた。だがこれは、多くのチュニジア人にとって大きな不快以外の何ものでもなかった。後のチュニジア共和国大統領ハビーブ・ブルギーバは、数年後にこう述懐している。

「カルタゴの聖体大会は、私の独立闘争の一つの起源となった。私はそこで、我々ムスリムの街の通りを、十字軍兵士に扮して練り歩くヨーロッパ人たちを目にしたのだ。」

中世の十字軍の記憶が蘇るかような光景は、植民地支配への抵抗感情に火をつけるのに十分であった。

1931年ヴァンセンヌ植民地博覧会

翌1931年には、リヨテ元帥が見事に組織した壮麗な植民地博覧会がヴァンセンヌで開かれた。もはや新たな世界を創造できなくなった元帥は、石膏と軽量素材で築かれる華麗ながらも儚い宮殿群によって、行動への情熱を満たしたのである。

ドイツの脅威の再興と北アフリカ部隊

その一方で、ドイツという脅威の再興が再び明白になりつつあった。フランスは多くの北アフリカ部隊を本土東部に駐屯させた。その内訳は、アルジェリア狙撃兵連隊8個、モロッコ狙撃兵連隊4個、チュニジア狙撃兵連隊2個、アルジェリア・スパヒ騎兵連隊3個、モロッコ・スパヒ騎兵連隊1個――すなわち、砲兵と各種支援部部隊を擁する完全編成の歩兵師団4個と、騎乗スパヒ旅団2個である。

さらに植民地軍もまた、1914年以前と同様にフランス本土に大規模に展開していた。こうして帝国は、極めて生命力にあふれた存在として、一貫した強力な全体像を呈し、その鍛え上げられた道具が賢明に运用される限り、いかなる侵略者をも怯ませうるものとして映っていたのである。