古代の歴史

ビル・ハケイムの戦い:自由フランス軍の栄光の15日間

1942年2月4日、第1軽旅団はビル・ハケイムにおいてイギリス第150ヨークシャー旅団から防衛任務を引き継いだ。ここに後の歴史に残る壮烈な戦いの幕が開けようとしていたが、当時はまだその全容を予見するものはなかった。ビル・ハケイムはイギリス軍戦線の極南翼を構成していた。ミュラシオール少佐は戦場の様相と防御体制を次のように記している。

「このすでに敵対的な砂漠においても、この時期には矮小な低木が生え、時に予期せぬ色とりどりの香り高い花畑が現れる。『ビル(井戸)』の名を残すのみで、水は枯れ、その周囲には小さな農場ほどの規模のイタリア軍前哨基地の崩壊した残骸が番人のように佇んでいる。周囲の大地よりわずかに隆起した地面は静寂に包まれ、草一本なく、わずかな風でも砂を高く舞い上げる。砂層は薄く、地盤は極めて硬い。工事は採掘用ドリルを用いねばならず、掘られたシェルターは不完全なものだった……。ラルミナ将軍は極めて巧妙な防御システムの構築に全力を注いだ……。シェルターが掘られ、陣地周囲に広く堅固な保護帯として機雷原が敷設された……。陣地構築が絶え間ない砂嵐の下で進められる間、我々の哨戒隊は敵陣地およびその後方150キロメートルに至るまで敵を攪乱し続けた。」

戦力編成と指揮官交代

4月初め、ラルミナ将軍は旅団指揮権をケーニヒ将軍に譲り、バルディアへ移動して第2旅団の編成にあたった。5月26日、我々の軽装甲部隊の出撃をきっかけに、ビル・ハケイムへの攻撃が迫っていることが明確になった。1月〜2月のアゲダビア、ベンガジ、デルナでの勝利で増強を受けたロンメルは再び攻勢に転じ、今度はカイロ到達を目指した。彼の部隊は二手に分かれ、一隊は沿岸を進み、もう一隊はトブルクを背後から脅かし、5月27日、ビル・ハケイム前に姿を現した。一晩中エンジン音が響き、昼には多数の機動部隊の移動が確認された。

この時、ビル・ハケイム守備隊は約3,500名の兵力を擁していた。主な編制は以下の通り。

  • 第1外人連隊半旅団(アミラケヴァリ中佐)
  • 第2植民地半旅団(ドゥ・ルー大佐)
  • 第2 marcha大隊(アミエル commandant)
  • 太平洋大隊(ブロシェ中佐)
  • 第1海兵歩兵大隊(サヴェ commandant)
  • 北アフリカ中隊、工兵、通信、対戦車、衛生隊、高射砲部隊

ビル・ハケイムの戦略的意義

ビル・ハケイムにおいて自由フランス軍は名誉ある位置を占めた。この拠点は敵の「戦果の拡大」を封じ、連合軍にとっていかなる機動も不可欠な「枢軸」をなしていた。

戦闘の4つのフェーズ

ビル・ハケイムの戦いは15日間続き、大きく4段階に分けられる。

  1. 5月27〜31日:アリエテ師団による攻撃
  2. 5月31日〜6月2日:敵撤退を受け追撃準備・開始
  3. 6月2〜10日:新たに2個師団がビル・ハケイムを包囲、猛攻が続くも抵抗は揺るがず
  4. 6月10〜11日夜:強行突破による脱出

この叙事詩の真価は、事実の精確さそのものに宿っている。

第1フェーズ:アリエテ師団の猛攻(5月27日)

5月27日午前9時、70両の戦車が東側機雷原に沿って前進、砲火を開き我々の防衛線へ突撃してきた。我々の対戦車砲が激しく応戦。敵戦車18両(イタリア製M13/40)が機雷に触れ、または被弾して停止。黒煙の柱が立ち上り、砂塵が戦域を覆った。外人部隊正面には30両が出現。400メートル、ときには至近距離で砲火を浴びせ、さらに6両が陣地内で撃破された。戦闘の喧噌は収まり、午前11時30分、アリエテ師団は32両を失って撤退した。

小康と追撃の試み(5月28日〜31日)

28、29日は散発的な戦闘に終始。我々の士気は高まり、積極的な出撃で新たな戦車・装甲車を撃破。30、31日には敵が撤退を開始。陣地前面に焼け残る多数の戦車・装甲車・車両が、我々の抵抗の成果を物語っていた。捕虜を得、我々の損害は軽微だった。

5月31日、連合軍司令部は敵追撃を決定。ビル・ハケイムはイギリス軍に引き継がれることになった。6月1日未明、太平洋大隊が西方へ追撃を開始。同日、ラルミナ将軍が視察に訪れ、部隊をねぎらい、「自ら設計に関わった装置の出来栄えを喜ばれたに違いない」(ベスナール中尉記)と記録されている。同日、ビル・ハケイムはドイツ爆撃機とシュトゥーカの標的とされた。一方、太平洋大隊は西方80キロのロトゥンダ・セニャーリに達し、敵軽部隊を撃退。旅団は前進を続けたが、夜になって反転命令が下った。「ビル・ハケイムに留まり、その場で抵抗せよ」。ロンメルが再び攻勢を再開したのだ。6月2〜10日、戦いは頂点へ達する。

第3フェーズ:包囲とロンメルの最後通牒(6月2〜10日)

6月2日:降伏勧告と拒絶

午前9時30分、北東方向に1,000両以上の敵車列が報告され、迫り来る攻撃を全員が待ち構えた。白旗を掲げた車両が東門に到着。イタリア将校2名が降り、ケーニヒ将軍のもとへ。「ロンメル……包囲……殲滅……降伏……」とイタリア語で迫る。ケーニヒ将軍は礼節をわきまえつつ毅然と拒否。「貴官らは立派な兵士だ」とイタリア将校は返した。

1時間後、最初の105mm砲弾が落下。我々の砲兵が応酬し、射程内の車両を炎上させた。午後、砂嵐と「重苦しい待機」が兵士を包み、夕方には空襲で静寂が破られた。

6月3日:ブロシェ大隊の帰還とロンメルの手紙

未明、敵の監視を欺いてブロシェ大佐率いる太平洋大隊が戦果を携え帰還。午前7時、ケーニヒ司令部に報告し、サイドカーで部隊前を走る姿に兵士たちは歓声を上げた。彼らと共に12門の75mm砲が陣地へ入った。午前8時、イギリス将校2名が東側チケインに現れ、ロンメル直筆のドイツ語書簡を手渡した。翻訳は以下の通り。

ビル・ハケイム守備隊宛

更なる抵抗は無益な流血を招くのみである。貴官らも、ゴット・エル・アレブにいた2個旅団と同じ運命、前々日に全滅した運命をたどることになる。貴官らが白旗を掲げ、武装して出頭すれば戦闘を停止する。

ケーニヒの返答は即座だった。フランス軍砲兵が射程内の敵車両へ猛烈な砲火を浴びせたのだ。同時に全部隊指揮官へ一般命令が発せられた。

1. 今後、航空機・戦車・砲兵・歩兵を総動員した本格的攻撃が予想される。それは熾烈を極める。 2. わが命令と確信を新たにする。誰もが動揺することなく、孤立しようとも持ち場で任務を全うせよ。 3. わが使命は、最終勝利が確定するまで、いかなる犠牲を払ってもこの地を守り抜くことである。 4. これを将兵の隅々まで徹底せよ。 5. 皆の武運を祈る。 司令部 6月3日 午前9時30分 署名:ケーニヒ

「砂漠の要塞」ビル・ハケイムにおいて、指揮官と兵士は静かな勇気で結ばれた。砲撃と空襲が激化する中、イギリス軍の「ハリケーン」戦闘機が支援に入り、午後5時頃には1分間で7機のシュトゥーカを撃墜。6月4日は空中戦が激化し、味方敵方の識別さえ困難なほどだった。夜闇に乗じてイギリス輸送隊が弾薬を輸送してきた。

6月5〜9日:締め付けられる包囲網

6月5日未明4時、ロンメルの全権使節が再び現れるも無駄足。間もなく150mm・210mm重砲が轟き始めた。6日、曇天の下、激しい砲撃準備の後、ロンメルは太平洋大隊正面を強襲。阻止されたものの、包囲は完成しつつあった。7日は比較的静かだったが、水平線のあらゆる地点に敵砲兵陣地が確認され、完全な包囲が成立した。

この夜、植民地部隊のベルレック准士官が偉業を成し遂げた。単身車で陣地を抜け出し、砂漠の真ん中で補給車列を発見、これを味方陣地へ導いたのだ。水と弾薬が数日分確保された。

6月8日:BM2正面の決戦

6月8日、第2 marcha大隊(BM2)正面に主攻撃が来た。ドイツ工兵が機雷原に道を開き、ドイツ軍従軍記者ルッツ・コッホはこう記す。「ロンメルは自ら砲兵を率い、突破口を駆け抜けながらドイツ兵には『前進!』、イタリア兵には『アヴァンティ!』と叫んだ」。戦闘は終日続き、70機のユンカース爆撃機が繰り返し襲来。唯一、砲兵観測点のみを失い、その守備隊は全員戦死した。

9日も砲撃と空襲は続く。ケーニヒは落ち着いた力強い声で命令を発し、通信でこう訴えた。「全員、力を振り絞れ! 射程内の敵を撃破することが最優先だ。戦闘14日目。水はあと48時間分。救護所は破壊された。」

第4フェーズ:決死の突出(6月10〜11日夜)

6月10日、濃霧が敵の行動を鈍らせた。連合軍司令部から「ビル・ハケイムの抵抗は戦略的必要性を失った」として撤退要請があり、ケーニヒは10〜11日夜の突出を決断。

悲劇の夜が訪れた。敵の包囲網——火と機雷と肉体の輪——を突き破らねばならない。自由フランス兵にとっての「空間」は、明日の戦い、そしてフランス解放まで続く戦いそのものだ。静かに夜闇へ飛び出す。当初は順調だった。果たして地獄の輪を無事に抜けられるか……。一発の照明弾……。まだ大丈夫。短い短機関銃のバースト……。まだ。だが突然、20連射が続き、百発の照明弾が夜空を裂き、千本の曳光弾が闇を引き裂く。悲劇は稲光と機銃掃射、爆発と悲鳴、喘ぎの中で幕を開けた。「真っ直ぐ進め」とケーニヒ。突撃し、叫び、撃ち、倒れる。

遠くに3つの赤い灯火——集合地点——が見えた瞬間、救いの予感が走る。ついに砂漠の静寂へ戻った。だが、多くの者がこの叙事詩の帰還を見ることはなかった。ブロシェ、サヴェ、ブリコーニュ、砲兵のルー大佐も数日後に戦死。「ビル・ハケイムの兵士たちよ! 君たちのこの不朽の戦績によって、国家の誇りの書は輝かしく書き継がれた」とカトリュー将軍は宣言した。

ド・ゴールの言葉:フランスの復活

「戦うフランスは、それを覆い隠さんとした大洋から、少しずつ、しかし不可抗力として姿を現し、世界はその中にフランスを認めた。ビル・ハケイムにおいて、その蘇える栄光の一筋が兵士たちの血に染められた額を撫でたとき、世界はフランスを認識した。ケーニヒ将軍よ、貴官と貴官の部下たちに知らせよ。フランス全土が貴官らを見守り、貴官らこそがフランスの誇りであると」