
常識への挑戦
イギリス側で88に匹敵しうる火砲は、25ポンド砲ただ一つだった。奇しくも口径は87mmとほぼ同じだが、これも野戦砲であり、対戦車砲として設計されたものではない点ではドイツの88と同じ立場にあった。それでも多くの面で対戦車戦闘には適していた。対戦車弾は9.8kgの鋼製弾体で、88の20kg弾のような炸薬を持たず、砲の構造が軽量で薬莢も小さいため初速は630m/sにとどまり、900mでの貫通力は80mm程度だった。
北アフリカの砂漠戦役が88の価値を証明した頃、東部戦線が幕を開け、ソ連のT-34戦車の予想外の出現によってドイツの対戦車砲の多くは一瞬にして無力化された。残された対策は、50mmパック38より重い砲を用意するか、タングステン芯弾を無制限に使用するかのどちらかだった。タングステン弾は高い着弾速度に耐え、鋼弾では貫通できない目標にも穴を開けられたが、ドイツのタングステン供給は東欧のごく限られた産地に依存する不安定なもので、工作機械の製造用に優先的に確保されていた。75mm砲が急遽実戦配備される一方、88にも新たな役割が与えられた。クルップ社に対し、純然たる対戦車砲型「88mmパック43」の開発が命じられたのである。
この砲は従来の常識に真っ向から挑み、それを完全に覆した。迅速な放列展開に不可欠とされてきた二輪・開脚式砲架の代わりに、クルップ設計のモデルは高射砲を手本とした四脚式プラットフォームを採用し、緊急時には車輪を付けたまま牽引できるようになっていた。これは極めて合理的だった。対戦車砲は主に防御のために配置され、移動しながらの素早い展開はまず不可能だからである。十字形のプラットフォームは新型88に全周射撃能力を与え、対戦車砲として望ましい特性となった。さらに対空射撃を想定していなかったため砲架は低く、防盾上端の高さはわずか1.75mに抑えられていた。
薬室の拡大と大型薬莢の開発により火力は一段と強化された。しかし改良型砲架の設計は製造上の問題と遅延を招き、当面の需要を満たすべく、他の火砲の部品を流用した即席の二輪砲架が急造された。こうして生まれた砲は不格好で重い武器となり、正式名称は「88mmパック43/41」とされた。ロシアの泥濘(ぬかるみ)でこれを押し進めた兵士たちは、「納屋の扉(バーン・ドア)」というあだ名を付けた。だがその姿のままでも、その性能は決して侮れるものではなかった。30度の着弾角で1,000m先の168mm装甲を貫通でき、さらに3,000mの距離でも、初代88が1,000mで発揮する以上の威力を保っていた。
東部戦線からの報告は口を揃えて賞賛した。
「2,000mまで命中精度は非常に良好。160mから3,000mの距離で戦車を撃破した」
別の報告ではこう記されている。
「被弾した戦車は3mの高さのまっすぐな炎を上げて全焼した。T-34が410mの距離で後部から被弾し、エンジンブロックが約6m吹き飛ばされた。ある小隊長は、3,600mの距離で6両のT-34を撃破したと報告している」
しかし、このコインには裏面もあった。
新型弾薬は激しい発射煙を巻き上げ、無風時には砲口付近に約20秒間漂い続けて照準を不可能にした。より深刻な欠陥は、発射速度を上げると長い砲身が振動し、命中率が著しく損なわれることだった。ただし毎分15発以下に発射ペースを抑えれば――23kgの砲23kgの砲弾を扱う以上、最大速度を長時間維持すること自体が困難だったが――結果はある装甲師団の報告によれば「見事だった。……まさに驚異的な砲だ」。わずか4門で、20両のうち12両の戦車を破壊したという。
ノルマンディー:88は待ち構えていた
1944年、連合軍がノルマンディーに上陸すると、そこには88が待ち構えていた。Flak 18やパック43だけでなく、第三の型である「88mm艦載砲C/35――潜水艦用砲架C/35」も存在したからだ。この88は沿岸防御用の海軍砲で、他の2門とは系譜上のつながりがなく性能もはるかに劣っていたが、88という火砲の形状・規模の多様性を物語る存在だった。
この頃、88はすでに標準的な戦車砲にもなっていた。戦車に搭載された88の脅威は、牽引式の対戦車砲版をしのいだ。敵に向かって自ら機動できるからである。
しかし当時、連合軍はかつてより有利な立場にあった。戦車の装甲は厚くなり――至近距離で88と遭遇すれば耐えられないにせよ――戦車砲も同等以上の威力を備えていた。
対戦車砲としての88は、もはや射程における本質的な優位を失っていた。88が連合軍戦車に損害を与えられる距離なら、戦車側が先に発砲して88を破壊できることが多く、実際にそうなる例が増えていった。また88が戦車に搭載された場合でも、イギリスの17ポンド砲やアメリカの90mm砲がタングステン芯弾の優れた貫通力で対抗し、両者はほぼ互角となった。88は依然として強力な一撃を持っていた――多くの連合軍戦車隊指揮官が痛い思いをして学んだように――だが、もはや「超兵器」ではなくなっていた。それでも神話は一部に残り、終戦まで消えることはなかった。
結局のところ、88の強さの核心は「必要なときに大量に存在した」という事実にあった。「向こう」にはあって、「こちら」にはなかった。敵だけが保有し、味方を苦しめるものはすべて、現実を超えた評判を得やすいのである。
88は次第に姿を消していった。それでも終戦時には非常に多くの門数が稼働可能な状態で残っており、東欧諸国は安価にこれを入手して戦後防空体制の中核とした。これらの火砲は1960年代初頭、ソ連から供給された地対空ミサイルに置き換えられるまで現役に留まったのである。
88mm パック43 主要諸元

使用国:ドイツ
総生産数:2,098門(1943年~1945年)
閉鎖方式:水平滑塊式半自動尾栓
口径:88mm
最大射程:15,300m
最大発射速度:毎分6~10発
重量:3,650kg
全長(防盾含む):9.20m
全幅:2.20m
全高:1.73m
旋回角:360°
俯仰角:-8°~+40°