
KVシリーズ基本諸元
対象車種: KV-1、KV-1s、KV-2、KV-3、KV-85
型式: 重戦車
乗員: 5名
武装: 76.2mm戦車砲(各種)1門、7.62mmDT機関銃3挺(一部の車両では砲塔後部に機関銃を追加装備、P40対空機関銃を搭載した例もある)
装甲厚: 型式により75mm〜100mm
寸法・重量
全長: 6.27m
全幅: 3.10m
全高: 2.41m(型式により若干の差あり)
戦闘重量: 約47.5t(型式により変動)
接地圧: 0.75kg/cm²
パワーウェイトレシオ: 約12.7hp/t(型式による)
エンジン: V-2-K型12気筒水冷ディーゼル、2,000rpmで608馬力
走行性能
路上最高速度: 35km/h
航続距離: 250km
越堤能力: 1.20m
越壕能力: 2.80m
登坂能力: 36度
就役期間: 1940年〜1945年(赤軍)
開発の経緯
コーチンが率いるキーロフ工場設計局は、「砲弾に耐えうる重戦車」の開発を命じられていた。多砲塔式のT-35で痛い目を見た経験から、設計局は強力な火砲を備えた単一砲塔方式へと回帰した。試作車は短期間で完成し、スターリン自身の承認を得ることに成功。車名の「KV」は、当時の国防人民委員クリメント・ヴォロシーロフ元帥のイニシャルに由来する。
初期の車両では足回りが装甲板で覆われていたが、リーフスプリング+ペンデュラム式よりも被弾耐性に優れたトーションバー(ねじり棒)サスペンションの採用に伴い、この装甲カバーは廃止された。KVの製造は1939年に開始され、少数の先行量産車がフィンランドへ投入された。キーロフ工場製の量産車が正式に部隊配備されたのは1940年のことである。
技術的特徴
新型重戦車は、大型かつ比較的避弾経始に優れた砲塔を備え、被帽徹甲弾と榴弾を発射できる76.2mm砲を搭載していた。平均装甲厚は75mmで、車体前面と防盾はさらに強化されていた。車体本体と上部構造も平均75mmの装甲を持ち、当時各国で現役だったあらゆる対戦車砲の攻撃を寄せつけないと謳われた。
車体は圧延鋼板の溶接構造で、生産工程の簡素化が図られていた。足回りは高弾性鋼リムの転輪、大型履帯、独立懸架式トーションバーサスペンションで構成され、この設計は極めて成功作となり、KVの生産終了までほぼ変更されることはなかった。片側に6個の転輪を持ち、履帯は中央ガイド付きの硬化鋼履板で構成。履帯の頂部は3個の小径支持輪で支えられ、起動輪は車体後部に置かれていた。
本車は初期の「大型」ディーゼルエンジンの代表格である12気筒500馬力級エンジンを搭載し、その巨体にしては十分な速度を発揮した。このエンジンは後にT-34中戦車などにも広く採用されることになる。広い砲塔内には車長、砲手、装填手の3名が収容された。主砲のほかに前向きと後向きの機関銃を各1挺備え、内部配置はT-34を彷彿とさせるものであった。ソ連特有の標準化方針に従い、KVはT-34と多くの機械部品、武装、照準装置を共有していた。
派生型の進化
76.2mm砲搭載のKV-1と並行して生産が始まったのがKV-2である。巨大な砲塔を持つこの「怪物」は、当初122mm榴弾砲を、のちに152mm砲を搭載した。初期型が「小砲塔」と呼ばれたのに対し、こちらは「大砲塔」の愛称で呼ばれた。KV-2はフィンランド戦線で洗礼を受け、KV-1とともにマンネルヘイム線突破作戦に参加した。しかし実戦経験は「小砲塔」方式の優位性を証明し、両タイプ合計636両が生産されたところで、KV-2のラインは1941年半ばに終息した。
その間、主砲も改良され、76.2mm砲39年型は初速の高い40年型へと更新された。1940年に登場したこの型(ドイツ軍の呼称でKV-IA)は当初、部隊指揮官用として配備され、砲塔に2基、車体後部に2基の潜望鏡と、個人火器用の射撃孔3か所を備えていた。
ドイツ軍対戦車兵器の威力が明らかになると、ソ連の技術者たちはKVの装甲強化に着手した。車体、上部構造、砲塔側面などの脆弱箇所に増加装甲板を溶接またはボルト留めしたのがKV-IBである。続いて、防弾形状に優れた鋳造砲塔を採用し、装甲厚を120mmに増したKV-ICが量産ラインに登場。車体側面も一部130mmまで強化された。当然ながら重量は40tから47t超へと急増したため、エンジン出力は600馬力に引き上げられ、履帯幅も拡大された。それでも速度は約30km/hまで低下した。
この機動力低下を受けて計画の見直しが行われ、装甲厚を削減し機構を洗練させて40km/hを達成したKV-1s(s=スコロストノイ、すなわち「高速」の意)が誕生した。少数のKV-1sが1942年8月から1943年6月にかけて部隊へ引き渡されている。
実際にはそれ以前に、火力強化のため砲塔を85mm長砲身砲搭載の新型鋳造砲塔へ換装する決定が下されていた。同時に乗員は4名から5名へと増員された。このKV-85は車長用キュポラを備え(全高は2.70mに増加)、新型砲身を収める円形開口部を持つ湾曲防盾が特徴で、総重量を許容範囲内に抑えるべく車体装甲はやや薄められた。砲塔後部の機関銃は維持され、この新型戦車は1944年末まで第一線で戦い抜いた。
実戦での運用
最初のKVはフィンランド軍に対して使用されたが、投入数はごくわずかだった。本格的な登場はバルバロッサ作戦の開始以降である。1941年6月24日、南部戦線に約500両のKVが投入され、ドイツ国防軍の装甲部隊と初めて対峙した。当時のドイツ軍の戦車砲や対戦車砲は、KVの分厚い装甲を貫通することがまったくできなかったのである。
とはいえKV-1にも弱点はあった。履帯の寿命の短さ、狭く不快な車内、ハッチ閉鎖時の劣悪な視界、そして緊急脱出の困難さである。球形ケースメイト内の後部機関銃は、多砲塔時代への最後の譲歩と言えた。初期の砲塔の品質も決して良好とは言えず、被弾時に致命傷となりうる突起物といった弱点を抱えていた。鋳造砲塔への全面切り替えは1941年後半まで待たねばならなかった。
火力・防御力と機動力のバランスは前者二つに大きく偏っており、これはいわゆる「突破戦車」としてはむしろ典型的な性格だった。一方、エンジンは軽合金と鋳鉄部品を多用した極めて先進的な技術の産物であった。
総じてKVは、低温環境でも信頼性を損なわない堅牢で質実な戦車だった。西部ロシア侵攻後、チェリャビンスクに急造された「タンクログラード(戦車の都)」の新工房での大量生産にも適しており、その点でも理想的な車両だったと言える。もちろん、この重戦車の出現はドイツ側に衝撃を与え、より強力な戦車砲を求める競争を促し、ついにはティーガーIの88mm砲へと至らせた。砲弾と装甲のいたちごっこは、こうして1945年5月まで続くことになる。
ソ連装甲兵力の側では、KVは後継のIS(ヨシフ・スターリン)系列への道を開いた。IS重戦車はロシア最良の重戦車となり、その122mm砲はあらゆるドイツ戦車砲を火力で凌駕した。さらに大口径砲を備えた優秀な自走砲(突撃砲)群の実用化にもつながっていく。事実、大祖国戦争後半において、ドイツ装備の質的優位に対抗しえたのは、まさしくこの世代のソ連重戦車たちなのであった。