
基本諸元(M3 / M3A1 / M3A2 / M3A3)
国:アメリカ合衆国
種類:軽戦車
乗員:4名
武装:37mm M5またはM6戦車砲1門、同軸機銃として.30(7.62mm)M1919A4機関銃1挺、車体側面スポンソン内に.30機関銃2挺、砲塔上部に.30機関銃1挺
装甲厚:最小10mm~最大44.5mm
寸法・重量
全長:4.53m
全幅:2.23m
全高:2.51m
接地圧:0.74kg/cm²
戦闘重量:12.4t
パワーウェイトレシオ:20.7馬力/t
エンジン:コンチネンタル W-670 空冷7気筒星型ガソリンエンジン(2,400rpmで250馬力)
性能
路上速度:58km/h
路外速度:32km/h
航続距離:112km
超堤能力:0.6m
越壕幅:1.8m
渡河深度:0.9m
登坂能力:60%
運用期間:1941年にアメリカ陸軍へ制式採用。第二次世界大戦中はイギリス軍をはじめとする連合国軍で広く使用されました。
開発の経緯
1940年6月の時点で、アメリカ陸軍の標準軽戦車は1939年に制式化されたM2A4でした。この車輌は、1935年のM2A1から始まった一連の研究開発の集大成となるものでした。M2A4は約12tの車重で37mm砲を旋回砲塔に搭載し、リベット接合の装甲板を採用していました。
新型車では装甲が強化され、この変更に対応するために起動輪を低い位置に配置することが求められました。防御力の向上に対防空能力の改善も加わり、1940年7月に「M3軽戦車」として制式化されました。2,400rpmで250馬力を発生させるコンチネンタル製7気筒星型エンジンはM2A4からの踏襲でしたが、1941年には同エンジンの供給不足のため、500両のM3にギバーソン T-1020ディーゼルエンジンが搭載されることになりました。
また、イギリス軍が北アフリカで得た実戦経験を反映し、車外に吊り下げる2基のドラム缶式予備燃料タンクが追加されました。M3はアメリカン・カー・アンド・ファウンドリー社によって大量生産され、1942年8月までに5,811両が完成しています。
改良型の変遷
M3A1軽戦車は改良型の砲塔を備え、均質鋼装甲を採用しました(従来の装甲は表面硬化処理のみで脆さがありました)。砲塔旋回は動力補助式となり、ジャイロスタビライザーの搭載により走行中の射撃精度も向上しました。さらに車内には砲塔バスケットが設けられています。1941年8月に制式化されたM3A1は、車体こそM3と同じリベット接合構造のままでしたが、溶接鋼製の車体と砲塔を持つ試作車の登場は、のちにM5軽戦車へとつながる発展の端緒となりました。
次期モデルのM3A2も溶接鋼製の組立車体を採用する予定であり、それ以外の部分はM3A1とほぼ同一でした。しかしM3A2は量産には移りませんでした。アメリカン・カー・アンド・ファウンドリー社はM3A1を4,621両生産しており、うち211両にはディーゼルエンジンが搭載されています。M3A3はより徹底的な再設計が施されたモデルで、砲塔・車体・側面銃座に大幅な変更が加えられました。後継車M5の生産ラインが稼働した後も生産を続ける価値があると判断され、M3A3の総生産数は3,427両に達しました。
このほかM3シリーズには多数の試作型が存在し、その大部分は異なる走行装置コンポーネントのテストを目的としたものでした。
実戦での活躍と評価
イギリス軍にとって、M3は1941年から1942年の北アフリカ戦線における待望の戦力増強となりました。その後は第二次世界大戦のあらゆる作戦地域に姿を見せていますが、とりわけ記憶に残っているのは、北アフリカ砂漠での戦い、ビルマ戦線における英連邦軍での奮闘、アントウェルペン攻略への参加、そして太平洋戦線でのアメリカ軍による運用でしょう。
火力と装甲は決して十分とはいえませんでしたが、優れた機動性と頑丈さにより、騎兵連隊では「ハニー(Honey/愛しい子)」という愛称で親しまれました。偵察任務においては、ダイムラー装甲車よりも本車を選好した部隊も少なくなかったといいます。
M3は第二次世界大戦で最も広く使用された軽戦車であり、生産数においても後継車のM5やM24を大きく上回りました。1943年7月に旧式と判定されたにもかかわらず、同年10月までに累計13,859両が生産ラインを離れています。設計当初の想定である「騎兵的」任務に適した速度と良好な路外走破性を備えていた一方で、M3にはさらなる発展や改修の余地はほとんど残されていませんでした。