
1943年後半、アメリカ軍は中央太平洋の反攻作戦「フリントロック」(マーシャル諸島攻略作戦)の検討を進めていた。当初の計画では、目標はマーシャル諸島東部列島の環礁群に置かれるはずだった。しかし同年12月7日、主要幹部が顔をそろえた会議の席上、ニミッツ太平洋艦隊司令長官は出席者を驚かせる提案を行う。それは、世界最大級の礁湖を有する西部マーシャルの要衝・クェゼリン環礁へ、まさに「心臓」を突くような直接攻撃を仕掛けるというものだった。
指揮官たちの強い反対
この大胆な構想に対し、スプルーアンス、ターナー、スミスの各指揮官は一斉に反発した。問題は、キリ、マロエラップ、ウォッジェといった東部の航空基地群を「飛び越える」ことにあった。第5艦隊司令長官スプルーアンスは、すでに南西太平洋艦隊へ一部の艦艇を割いており、この条件下では背後に残る要塞化された基地群の無力化を保証できないと訴えたのである。
ニミッツの決断と増援
ニミッツ提督はあらゆる異論を退けた。譲ったのは一点のみ。東部マーシャルのマジュロ環礁も併せて確保し、スプルーアンスが求めていた補給拠点を手に入れることだった。さらに彼は予備戦力から陸軍第106歩兵連隊を引き抜き、上陸部隊への増援に充てた。こうして攻撃目標はクェゼリン環礁本島と、双璧をなすロイ島・ナムル島に絞られ、攻撃開始は1944年1月末(実際の上陸は1月31日)と正式に決定された。
史上空前の上陸戦力
ターナー提督の第5水陸両用部隊には、支援砲撃と護衛のため指揮艦2隻、戦艦7隻、巡洋隻、巡洋艦12隻、駆逐艦75隻が配属され、上陸用の輸送船団として輸送船46隻、貨物船27隻、戦車搭載用バージ45隻、バージ型揚陸艇5隻が用意された。
一方、ミッチャー提督率いる高速空母部隊・第58任務部隊は、約750機の艦載機と護衛艦艇を擁していた。その任務は、まず事前砲爆撃に参加した後、クェゼリン西方海域へ展開し、万一トラック泊地(東カロリン諸島)の日本艦隊が出撃してきた場合に備えて迎え撃つことであった。さらに上陸準備期間中は、ギルバート諸島など新設された前進基地から、フーヴァー少将指揮下の陸上機・艦載機が絶えず出撃し、マーシャル各地の日本軍基地の無力化を図ることになった。
完全に裏をかかれた日本軍
クェゼリンへ向けたニミッツ提督の大胆な一手は、日本軍を完全に不意打ちとした。日本軍首脳部の多くは、当初のアメリカ側計画どおり東部マーシャル方面への来攻を予期しており、1943年末に到着した数千人規模の増援部隊を、連合軍基地に最も近い環礁群へ優先的に配置していたのである。その結果、防備の重心が東部に偏ったまま、連合軍の矛先はいきなり防衛線の「心臓」へと突き刺さることになった。