古代の歴史

空挺部隊の雨――アーネムに降り注いだ英空挺兵とモデル元帥の誤算

空から降る「雨」――1944年9月17日

空挺部隊の雨――アーネムに降り注いだ英空挺兵とモデル元帥の誤算

1944年9月17日の朝、史上最大規模の空挺作戦「マーケット・ガーデン」が発動された。頭上を轟音とともに通過していく「あの巨大な大編隊」の音を耳にしても、ドイツ空挺部隊の父と呼ばれたクルト・シュトゥーデント上将は、すぐにはその危険を認識しなかった。むしろその音は、かつて自身が指揮したロッテルダムやクレタ島への落下傘降下の日々を思い起こさせたのである。参謀長がバルコニーに駆けつけてくると、彼はこう言ったきりだった。
「ああ、私にもあれほど強力な手段があればいいのだが……」

ドイツ軍首脳部の誤算

驚いていたのは、B軍集団を率いるモデル元帥も同じだった。実は3日前、ある参謀将校が連合軍の立場に立って「いかにしてドイツ本土へ侵攻するか」を想定し、アイゼンハワー総司令官名義の架空の命令文を作成していた。そこには、イギリス第2軍がマース川へ攻勢をかけ、ルールモント経由でルール工業地帯へ進撃すること、さらにミュンスター南方、リッペ川以北の地域で大規模な空挺部隊を投入することが盛り込まれていたのである。

この仮定について、ドイツ軍将官たちの見解は一致していなかった。オランダの警察最高責任者ラウター将軍が「アーネム方面への空挺部隊の着陸は十分にありうる」とモデルに進言したときも、モデルも参謀長クレープス中将も、それを信じようとはしなかった。彼らの論拠はこうだった。空挺部隊はあまりにも価値が高く、「戦術的な慎重さでよく知られた」モントゴメリーが、そんな危険きわまりない作戦に賭けるはずがない――少なくともアントウェルペン港が連合軍に利用できるようになり、補給線が大幅に短縮されるまでは。しかもアーネムは第1軍の先遣隊からあまりにも遠く、この地区に降下した空挺部隊は、先遣隊の到着以前に包囲殲滅される危険が大きい、というのが彼らの判断だった。

アペリティフを投げ出した元帥

だが、西へ2マイル(約3キロ)足らずの地点にイギリス空挺兵が「雨」のごとく降り注いでいることを悟った瞬間、モデルはいつもの素早さで行動を開始した。敵を確実に撃ち砕くための手配すべてに指示を飛ばす一方、手にしていたアペリティフを放り出し、運転手がホテルの前で苛立たしげにクラクションを鳴らす中、自室へ飛び込んで慌ただしくスーツケースに荷物を詰め込んだ。幕僚たちもこれに倣い、持ち物をかき集めて一斉に外へ飛び出した――もっとも、その際にはファイル類、作戦計画、機密文書など数々の重要書類を置き去りにせざるを得なかったが。

自動車の行列はアーネムを目指して走り出した。1キロ足らず進んだところで、一行は自転車を必死に漕いでアーネムへ急ぐSSの指揮官とすれ違う。
「おい、どの道を行けばいい?」と、モデルは先頭車の前席から怒鳴った。
「ドゥーティンヘム街道を行け」――SSの指揮官も同じ調子で叫んで答えた。