
イギリス第1空挺師団は、第二次世界大戦中に創設された空挺部隊です。大戦を通じて多大な損害を受けましたが、中でもマーケット・ガーデン作戦における「アルンヘムの橋」の防衛戦でその名を馳せました。
また、栗色(マルーン)のベレー帽――フランスでは「アマランスベレー」あるいは「赤ベレー」として知られる――を着用した最初の師団としても知られています。

創設と歴史
創設
第1空挺師団は1941年10月31日に創設され、ブラウニング中将の指揮下に置かれました。創設当初は第1落下傘旅団と第1空輸旅団の2個旅団で構成されていましたが、1942年7月に第2落下傘旅団が編入され、正式な師団規模に達しました。

北アフリカ戦線
1942年末、第1落下傘旅団が北アフリカの砂漠戦に投入されることになると、戦力を補完するため第3落下傘旅団が師団に配属されました。
1943年5月1日、ホプキンソン将軍の指揮する師団は北アフリカへ移動し、先遣の第1落下傘旅団と合流します。この際、第3旅団は本国に残り、後に第6空挺師団の中核となりました。
シチリアとイタリア
第1落下傘旅団と第1空挺旅団はシチリア侵攻作戦、とりわけラッドブローク作戦に参加しました。1943年9月9日、師団はイタリア南部の港湾都市ターラントへの進撃を命じられます。港を確保した直後、第2落下傘旅団と、直前に編入されたばかりの第4落下傘旅団が内陸へと前進しました。しかしこの戦いでホプキンソン将軍が戦死し、指揮権は第1落下傘旅団長だったダウン将軍に引き継がれました。
同年11月、師団は本国イングランドへの帰還を命じられましたが、第2落下傘旅団のみは分離され、独立部隊としてイタリア戦線に残りました。
ノルマンディー上陸作戦
1944年1月、アーカート将軍が師団長に就任しました。ノルマンディー上陸作戦(Dデイ)当日、師団は予備兵力として待機し、代わってイギリス第6空挺師団がフランス上空から降下しました。ノルマンディー戦の初期段階では、ペルチ作戦を支援するためにカーン南方へ本師団を降下させる計画もありましたが、空軍が「兵士にも輸送を担うパイロットにも危険が大きすぎる」として反対し、実現しませんでした。
1944年8月2日、師団は第1連合空挺軍に編入されました。
ノルマンディーからアーネム(マーケット・ガーデン作戦)に至るまでの間、第1空挺師団のために約17件もの空挺作戦が計画されましたが、すべて何らかの理由で中止されました。その多くは、地上部隊の進撃が想定よりも速く、空挺部隊の目標があっという間に占領されてしまうというものでした。このため、師団には「死産師団(Division Stillborn)」という皮肉なあだ名が付けられるほどでした。
マーケット・ガーデン作戦
1944年9月に発動されたマーケット・ガーデン作戦では、第1空挺師団がオランダ・アーネムのライン川橋梁の確保という、作戦全体で最も遠い目標を担当しました。しかし地上部隊の進撃が遅れたことで孤立を余儀なくされ、圧倒的なドイツ軍の包囲の中で9日間にわたり激しく抵抗した末、壊滅的な損害を受けて撤退しました。この「遠すぎた橋」と呼ばれるアーネムの戦いこそ、第1空挺師団の名声を決定づけた戦いとなりました。

歴代師団長
- 1941年~1943年:ブラウニング中将
- 1943年:ホプキンソン将軍(戦死)
- 1943年~1944年:ダウン将軍
- 1944年:アーカート将軍
部隊概要
- 創設:1941年10月31日
- 解散:1945年11月
- 国:イギリス
- 軍種:イギリス陸軍
- 種類:空挺師団
- 任務:空挺作戦
- 兵力:約10,000名
- 参戦戦争:第二次世界大戦
- 主な作戦・戦役:コロッサス作戦、バイティング作戦、フレッシュマン作戦、ハスキー作戦、ファスティアン作戦、アヴァランチ作戦、マーケット・ガーデン作戦、チュニジア戦役、デンマーク、ノルウェー
- 歴史的指揮官:ブラウニング中将、アーカート将軍